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現在色々の宗派が色々の事を言っていますが、仏陀の教えは本来どういうことだったのか、貝葉をひもとき、本当に言いたかった仏陀の教えについてまとめてみました。 そのことを知れば人生も楽しくなると思います。 貝葉に書かれた最古の般若心経仏陀の教えは般若心経の中に集約されています。しかし現在使われている般若心経は梵字で書かれた般若心経を、玄奘が漢字に翻訳したものです。 玄奘の翻訳した般若心経を本当の般若心経だと思われている方も多いと思いますが、実は、玄奘は梵字の般若心経を見て、それを中国で読むことが出来るように漢字に翻訳したのです。 玄奘が見た般若心経は貝葉に記されていたと思われますが、翻訳後、その貝葉を破棄してしまったため、翻訳前はどうであったのかは謎となっていました。 ところが、その玄奘が見たであろう貝葉の写しが日本にあったのです。 仏陀の教えを記した般若心経の最古のものです。 その貝葉に記されている梵字の般若心経を解析してみますと、玄奘の翻訳と少し違うところがあります。 玄奘は、分かりやすくするため、意訳しているところがあるのです。 例えば、最初の「表題」とか、「度一切苦厄」にその努力の跡が読み取れます。 しかし、言わんとしている内容は全く同じです。 仏陀の教えについて詳細をご覧になりたい方は、「貝葉に見る般若心経の秘密」をご覧ください。 仏陀の教え・・因縁仏陀は、病める人の苦しみや、老いていく人の苦しみなどを和らげるために、世の成り立ちについて教えています。その仏陀の教えの根本は二つです。 その一つが「因縁」です。 全てに「因」と「縁」があると説いています。 この世の中の物はすべて「因」と「縁」でつながっているというのです。 「因」は元となるものの事です。 「縁」はつながりと言う意味です。 父と母という「因」が、「縁」有って結ばれ私がここに生きています。 因は父と母だけではありません。 空気や水も食料も無くては私は生きていけません。これらの空気も水も食料も因になります。 その空気をどのようにして身体に取り込むのかその仕組みは一つの「縁」に寄っているのです。 水や食料の取り込み方もそれぞれの「縁」になります。 水であれ、空気であれ、食糧であれ、それらは最初からあったわけではありません。 仏陀の教えによれば、色々の元となるものが色々の仕組みによって作り出されてきているのです。 世の中にあるものはすべて最初からあるわけではなく、色々の物が色々の仕組みで集まって何かになっているのです。 仏陀の教えはこの「因」と「縁」という考え方が一つの中心となっています。 仏陀の教え・・色即是空もう一つの基本的な仏陀の教えは「色即是空」です。「色(しき)」というのはこの世にあるすべての物の事を示しています。 「空(くう)」というのは、非常に理解しにくいことですが、簡単に言えば、変化するものだということを意味しています。 「色」すなわちこれ「空」なり、と言っていますから、世の中にあるものはすべて変化してしまう存在である、と言っているわけです。 仏陀の教えは「色即是空」とともに「空即是色」にもあります。 「空即是色」は、空であるからこそ、今ここに存在できているのだと言っているのです。 変化するものであるから今ここに存在しているのだというわけです。 もし、本当に変化しないものならば、今ここには存在しないと言っているのです。 私が今ここにいますが、生まれる前はここには居ませんでした。 生まれて育ってきたわけですから変化してきたわけです。 変化するからこそここに居られるのであり、変化しないで生まれる前からここにいることは出来ないのです。 空気だって水だって地球が出来る前から地球にあったわけではありません。 地球が出来、どうやってか分かりませんが、長年かかって空気や水も出来てきたのです。最初から一セットになっていたわけではありません。 長年かかったかもしれませんが、変化することが出来たから、空気も水も今ここに在ることが出来るわけです。 食料だって当然地球が出来る前からここに在ったわけではありません。 育ち、変化したからこそ今ここに在るわけです。 変化するものすなわち「空」であるからこそ、今この世にあるものすなわち「色」となっているわけです。 仏陀の教えは、この世にあるものはすべて変化するものであると言っています。 仏陀の教えは万民を救う仏陀の教えは事細かに色々の事を言っています。しかしその根本は「因縁」と「空」の二つを元としています。 この二つがなぜ人々の苦しみを救うことが出来るのでしょうか。 「死」について考えてみます。 私は色々の物から、色々の仕組みによって作り出されてきて、今ここに生きています。 しかし必ず変化しなくてはならないのです。 いつまでも生き続けることは出来ないのです。 私は「空」として存在しているにすぎなく、やがては生きることをやめ、死して土に還らねばなりません。 このことをしっかり分かれば、いつまでも生き続けたいという欲望はなくなります。 死することは当然だと受け止めることが出来ます。 死の恐怖はなくなるのです。 人はだれでも死するものだと思うことが出来るようになるのです。 病についても同じです。 仏陀が病そのものを治してくれるわけではありません。 仏陀は、病についての考え方を教えてくれるのです。 人の身体は必ず変化するのであるから、病になることもあれば、老いることもあるのであり、これはどんな優れた医者であっても避けて通ることは出来ないのだと教えてくれます。 ひの通りがしっかり分かれば、病の苦しみはやわらぐのです。 仏陀はそうして万民を救おうとされたのです。 自らは死しても、その教えを残されたのです。 その仏陀の教えを弟子たちが要約して、貝葉に般若心経として記しました。 その貝葉の般若心経を、玄奘が漢字に翻訳して、我々の使っている般若心経となっているのです。 仏陀の本当に言いたかったことこの世には変化しないものはない。すべて変化するのだ。 苦しみもいつまでもあるわけではなく、変化するのだ。 色々の物が色々の仕組みiによって集まっているのに過ぎないのだから、いつかは必ず今とは違う姿になるのだ。 このことをしっかりと身に付けよ。 仏陀の教えを要約し、芯の部分だけを述べればこのように言うことが出来るかと思います。 ただし、私は宗教家でもありませんし学者でもありません。 電気工学が専門です。 余暇に学んだことを思い出しながら記したものですから、間違っているかもしれません。 間違っていましたら、なにとぞご容赦をお願いいたします。 人生を楽しむコツ人生は一つしかありません。人生とは、その人の経験や学習などの積み重ねの時間を言います。 時間経過によりますから、後戻りはできないのです。 同じことを繰り返したとしても、人生を繰り返したのではなく、そのことを繰り返す人生になったのです。 人生観は、その人が、自分の人生を振り返ってみた時、どのように感じるかということです。 楽しかったと感じるか、辛かったと感じるか、あるいは幸福な人生であったと感じるか、色々でしょう。 人生を楽しむというのには二つの意味があります。 人生を歩いているその時々と言う意味と、振り返ってみた時に感じる人生感です。 毎日毎日を楽しく暮らせるなら、どちらから見ても、人生を楽しむことが出来るわけですが、たいていの場合山あり谷ありです。 楽しい時もあるでしょうが苦しい時や悲しい時もあるのが普通です。 そうした人生ですが、その人生を振り返って全体を評価した時、良かったなと思える人生にしたいものです。 好きな仕事に夢中になりながら過ごすのも人生を楽しむ一つの方法です。 こういう人生とするコツは、若いうちにしっかりと計画を立て、その道一筋に歩くことです。 しかし別の生き方もあります。 仏の道に入り、仏陀の教えを会得できれば、毎日の暮らしが楽しいものに思えてくるはずです。 毎日が楽しくなくても、少なくとも苦しみは軽減されるのではないでしょうか。 これも人生を楽しむコツの一つだと思います。 |