余裕綽々の時
*人生を楽しむコツ*

 
私の人生の中で数年間、余裕綽々(よゆう しゅくしゃく)の時がありました。
取締役を退任し、顧問として若い人の指導をした時は余裕綽々の日々でした。
しかしそこに至るまでには努力に努力を重ねてきたのです。

努力の結果が余裕綽々

あらすじ

高校の時、数学の先生になるか電気の道に進むか真剣に考えました。
数学も物理学も得意でしたし、電気の物を作ることが好きでした。
どちらの道に行くべきかさんざん迷いましたが、好きな道である電気と言う道を選びました。

電気の道に行くためにはそれなりの大学に行かなくてはなりません。
物理と数学は余裕綽々でいつもトップ成績でしたが、他の科目は全然ダメでした。

たまたま、電気工学科のある大学があり、大学からお金を支給される給費生の募集があることが分かりました。
お金を支給されるわけですから、超難関です。
ところが、試験科目が物理と数学だけでよいのです。
余裕綽々とはいきませんが、一心不乱に得意な科目である物理と数学をとことん勉強しました。

物理と数学は得意ですから大学でも余裕綽々でした。
ただ他の科目も合わせた総合成績でクラスの上位に居る必要があり、ずいぶん苦労しました。
それでも卒業の時にはクラスのトップに立つことが出来、担任の先生から電気関係の会社へ推薦してもらえました。
先生からの推薦でしたので、入社試験はありませんでした。

会社では、念願の新製品開発をすることが出来、苦労はしましたが課長となり、部長となり、とうとう取締役にまでなりました。
取締役を退任しますと普通は会社からおさらばなのですが、私は顧問として残ることが出来ました。
この顧問の仕事は、若い人の指導や手助けですから余裕綽々でできたわけです。

高校の時の余裕綽々と努力の話や、大学での努力、会社に入ってからの苦労など、お話ししたいと思います。

高校の時の余裕綽々と努力

物理と数学は得意でしたから、普通の授業で単位を取ることは問題なく余裕綽々でしたが、大学に入るためにはかなりの努力をしました。
選んだ大学は電気工学のある大学ですが、この大学からお金をもらうことの出来る給費生試験を受けようとしたのです。
給費生になれば、入学金や寄付金の分も支給されますし、授業料の分も支給されますから全くお金を払わなくても良いのです。
しかしそのように非常に有利な条件ですから、超難関なのです。

ただ有難いことに、物理と数学の試験だけでよいのです。
得意科目です。
そうは言っても並の入学試験の程度ではありません。
得意科目とは言っても、高校の授業と違って余裕綽々というわけにはいかないのです。
猛烈に勉強しました。
家では兄夫婦の子供が騒いで勉強に身が入らないため、土蔵の中で勉強することにしました。
土蔵の中は暑くもなく、寒くもなくちょうど良い加減ですし、外の音は全く聞こえません。静かなものです。

勉強のための参考書は何冊も勉強するという方向ではなく、数を少なくして、その一冊の隅から隅まできっちり理解する方向で勉強しました。
何回も見ますから擦り切れるほどです。どこに何が書いてあるか皆覚えました。読み通し、完全に理解するよう努めました。

高校を卒業することも必要ですから、他の科目も一応は勉強しなければならず、とても余裕綽々などという状態ではなかったです。
結構苦労し、努力をしました。

大学での努力

給費生試験は超難関でしたが無事に合格することが出来ました。
念願の電気工学科に入れたのです。

私立大学ですから、入学金や寄付金も普通なら必要なのですが、給費生は大学からお金を貰えますのでその中から入学金や寄付金も納めることが出来ます。
授業料も支給されるお金から払うことが出来ますので、私は大学に一切お金を払っていません。

ただ問題があったのです。苦労してしまいました。
給費生として入学は出来たのですが、常にクラスの上位の成績をとっていないとその資格を失ってしまうのです。
物理と数学だけでよいのなら余裕綽々でトップを取れますが、例えば英語とか材料力学とか色々の科目を合わせて総合成績で上位に居なければならないのです。

他の科目はあまり得意ではありません。好きでもありません。
特に英語やドイツ語は苦手です。
これらの科目も合わせて上位に居ることが要求されるわけですから全く辛い思いをしました。

大学には前期と後期の試験があります。
ある時前期の試験の後、担任の先生から呼ばれ、「成績が下がっているよ。君としたことがどうしたのかね。このままでは給費生の資格が無くなるから、後期は頑張りなさい」、と注意を受けてしまいました。
成績が落ちた原因は分かっています。勉強をちょっとおろそかにしていたのです。
今度は頑張りました。
後期試験で取り返しできました。
努力したおかげで上位を維持できました。

そうして勉強を続け、卒業の時にはクラスのトップ成績となったのです。
努力は報いられるものです。

担任の先生から、とっておきの会社への就職を斡旋していただけました。先生の一番お気に入りの会社に紹介していただけたのです。

会社での苦労と努力

あこがれの電気の会社に就職することが出来ました。
大学の先生からの紹介でしたので、入社試験もありませんでした。重役の面接があっただけです。

全く考えていた道の上を真っすぐ歩いている感じです。
大好きな電気の製品を作ることが出来るわけです。
会社では新製品開発の設計をさせてもらえました。電気の設計をすることを目標として大学を選び、電気の会社に入り、電気の設計ができることになったわけですから言うこと無しです。

ところが、新製品開発というのは想像以上に難しく、困難なものでした。
毎晩毎晩帰るのは午前様です。夜中の2時3時に帰り、朝は定時に出勤です。

ペイペイのうちはまだ良いです。
主任くらいになりますとますます大変になって来るのです。
仕事の内容が難しくなってくることもありますが、新製品を開発するという責任がのしかかってくるからです。
新製品を考え作り出すことはとても楽しく、自分の好きな道ですからどんなに忙しくても仕事がきつくても、嫌だと思ったことはありません。
製品を作り出す喜びは大きく、完成した時は本当に嬉しいです。
でも、会社に入るまで知らなかった苦しみがあったのです。

納期です。
決められた時までに開発しなくてはならないのです。
子供の頃、電気の物を作って楽しんでいましたが、これにはいつまでに作り上げなければならないという時間制限はありませんでした。
しかし会社での製品開発には時間制限が伴うのです。
新製品は今まで誰も作ったことが無いのですから、色々の問題点が出てきます。
一つ一つ解決し、間に合わせなくてはなりませんので大変な苦労を伴うのです。

部下にも大きな負担をかけ、上司にも心配をかけ、家では妻に家庭と言う重荷を背負ってもらっていたのです。
本当に多くの人々の協力を得られたおかげで開発が出来たのです。もう感謝感謝です。

余裕綽々への道

会社での仕事は、主任、係長、課長あたりまでが肉体的にもきつい時でした。
新製品開発の直接の責任を持っているからです。

しかし部長になりますと、肉体的な辛さはなくなりますが、精神的には非常に辛くなります。
新製品開発と言うことについては同じですが、少し内容が違ってくるのです。

どういう製品を作れば競争会社に勝てるだろうか、価格はどのくらいにしなくてはならないか、いつまでに開発し、量産の設備はどのようにしなければならないかなど、若い頃の開発とは違ってくるわけです。
確かに夜中までの仕事はしなくても良くなります。それは主任たちに任せておけばよいからです。
私もそれをやり通してきたのです。
彼らの苦労も良く分かります。
自分が経験してきているのですから、今も皆同じ苦労をしていてくれるのだなとよく理解できますし、感謝します。

そうしているうちに、会社から取締役の話がありました。
会社を退職することになりました。従業員をやめるわけです。
しかし同日に、会社の取締役として迎えられることになったのです。
仕事内容は同じ開発の部長です。

しかし同じ場所に同じ部長でいるのですが、また少し考え方を変えねばなりませんでした。
会社としての利益を重く考えねばならなくなったのです。
従業員ではなく、経営陣に加わったからです。

待遇も大きく変わりました。給料も上がりました。
でも本当の事を言いますと、あまり嬉しくはなかったのです。嬉しいのですが、本当に進みたいと思っていた道から少し違ってきた感じがするのです。
私は会社の経営を考えるのではなく、製品を開発するための設計に頭を使うのが好きだからです。

私の人生の中で、同じ道ではありますが、少しガタゴトと走った時期だったように感じます。

数年間取締役を続けましたが、その後取締役を退任することになりました。
部長を務める必要もなくなりました。
普通は取締役を退任しますと、会社から去るのが通例です。

しかし私の場合は、取締役でなくなった後、顧問として迎えてもらうことができました。
顧問と言うのは一切の責任がありません。
色々の意見を求められますが、単なる参考意見であり、採用するかしないは意見を聞きに来た人の判断となるわけです。
また、顧問は意見を述べるわけですが、若い人に技術を伝承する役目も持っています。
しかし技術伝承と言っても、顧問から教育をすることはありません。
その技術について質問があった場合に知っていることを答えればよいわけです。

顧問は楽ですね。
責任はないですし、意見を言うとか、知っていることを話しすればよいのですから。
こうなれば全く余裕綽々です。
精神的にも肉体的にも余裕綽々です。

時間的にも余裕が出てきます。
顧問の待遇は取締役待遇になっていますので、出社退社も縛られません。
意見を求めに来る人も時々しかありませんし、技術的アドバイスを求めて来る人も時々ですから一日ほとんど仕事がありません。
会社支給のパソコンがありますので、ほぼ一日中それで遊んでいます。

皆さんも経験されていられるかもしれませんが、パソコンは時として動かなくなることがあります。
こういう時には有難いです。
管理者に電話しますと、すぐに代わりのパソコンを持ってきてくれます。
そうして、中身を今までのパソコンと同じにしてくれるのです。
会社にサーバーがあり、私のパソコンのすべてのデーターが自動保存されているからです。

天国ですね。
余裕綽々の天国です。それで給料がもらえるのですから不思議です。
一日中仕事のない日も多くなり、週に1日だけ出社するようになってきました。
そうして後期高齢者となった時、その顧問を辞退しました。
余裕綽々で過ごしてきた天国の顧問も辛くなってきたため会社を辞めることにしたのです。

22歳で入社してから75歳まで、53年間同じ会社の同じ課で同じ仕事を続けてきました。
好きな道、電気の道は実に半世紀以上になるのです。

現在77歳となり、定職はありませんので、ボランティアのようなものですが地域の方々のお役に立つため、神社の氏子総代を務めています。
この氏子総代の勤続年数も8年となり、最年長ですので余裕綽々です。

まとめ

苦労と努力なくしては余裕綽々の人生をむかえることは出来ません。
若いうちに、自分の好きな道を選び、その道一筋に歩きとおすことによって、はじめて余裕綽々の時を迎えられるのです。



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