一所懸命
人生を楽しむコツは
好きな道を歩くこと

 
一所懸命と一生懸命の違いはほとんどありません。
一所懸命が後に一生懸命に転じたためです。
命がけで何としてでもやり通すという意味は同じです。

一所懸命と一生懸命

一所懸命

日本の古代末期頃、地域の富豪の者が土地を自分で開墾し、その土地を所有することが多くなってきました。
開墾した土地はその者の私有地として認められる墾田永年私財法が施行されたためです。
開発と言うのは「ひらきおこす」と言う意味で、原野の開墾だけでなく荒廃田の再開も含まれました。
少し時代がたちますと、開発された田地では、所領の田畠とその農民に対する強力な私有権が国から与えられました。
しかし荒廃田の場合には、再開しても国に没収されてしまう場合が多く、平安時代中期には未開原野を広く占めて開田する領主的開発が主流となってきました。

このような開発領主は軍事貴族と関係を結び、武装して武士となる者も多くなってきました。
こうした武士は先祖から受け継いだ土地を自身の命より大切に考えるようになりました。
そうして何としてでもこの土地を子孫に伝えようとする傾向が強く表れてきました。

このような土地を、「一所懸命の土地」と言います。
命を懸けてでも守り抜く土地です。

やがて中世後期になりますと、そのような武士たちは戦国大名など領主層の家臣として組み込まれるようになり、領地替え・国替えが行われることも頻繁に起こりました。
しかし、先祖代々受け継いできた土地に強い執着があった武士の一部は、主君の領地替えに従わず、武士身分を捨てて浪人となってでもその土地に残り、守り抜いたのです。

この命をかけて守り抜く精神を「一所懸命」と言われるようになりました。
命がけで物事をすること、また、そのさまを「一所懸命」と言います。

一生懸命

「一生懸命」は「いっしょうけんめい」と読みますが、物事を全力でなすさまを表し、命がけでなすと言う意味です。

近世になって前述の「一所懸命」は土地の意味が薄くなり、命がけで何かをすると言う意味だけが残るようになりました。
さらに「一所」が「一生」に転じ、「一生懸命」と言われるようになりました。

この「一生懸命」は本来「一所懸命」なのですが、「一所懸命」には存在していた「受け継いだ土地を守ると言う意味」はすっかり消え去っています。
また読み方も、「いっしょけんめい」から「いっしょうけんめい」に変わってきています。

一所懸命と一生懸命の使われ方

命がけで何かをすると言う意味では、「一所懸命」も「一生懸命」も同じですが、「一所懸命」は土地を守ると言う意味が若干残っています。
このため、最近の新聞や放送においては、全力でなすさまを表わすには「一生懸命」が使われています。

しかし、歌舞伎の挨拶などでは、「一所懸命」がよく使われます。
これは、この名とか座を守り抜くために、全力で命を懸けて務め上げます、というような意味を持たせているからでしょう。

一所懸命も一生懸命もどちらも誤りではありません。
どちらを使っても主な意味は同じです。
ただ、一所懸命は「所」と言う文字が特定の場所とか物や名を含むため、「一所懸命の土地」の名残を持っています。

一所懸命と一生懸命の使用例

私(筆者)の人生を振り返ってみた時、悔いのない人生であり、十分人生を楽しむことが出来たと思います。
しかし、人生を歩いている時、その時その時は常に一生懸命歩いてきたのです。
のほほんとして歩いてきたわけではありません。

高校の時、自分の人生をどうするべきか一生懸命考えました。
私は数学と物理しかできない男です。
数学の先生になるべきか、大好きである電気の道に行くべきかそれこそ真剣に一生懸命考えたのです。

電気の道を歩くと決めました。
これは得意な科目物理に入りますが、電気製品の開発や設計を行うためには大学に行っておかなくてはなりません。
受験勉強は土蔵の中に閉じこもって一生懸命勉強しました。
電気工学科の給費生試験を受けるため、物理と数学をそれこそ一生懸命勉強しました。

勉強のかいあって、大学に合格し、卒業後は電気関係の会社に入ることが出来ました。
最初の間はそんなに一生懸命やらなくても仕事は進みましたが、30才台から40才台にかけては開発の責任者となりましたので、開発と言う仕事をやり遂げるためにはそれこそ寝る暇もないほど一生懸命頑張りました。

子供の頃の電気工作はそれなりに一生懸命作りましたが、会社で開発の責任を持つことになりますと一生懸命の度合いが違ってきます。
大抵夜は2時か3時まで深夜残業、翌朝は定時出勤。
上司や部下とともに、ああすれば良いのだろうかこうすれば良いのだろうかと泥まみれになって皆で一生懸命考えなくてはなりません。
新製品はだれも作ったことのない物なのですから、開発には困難が伴うのです。
納期、コスト、機能、この三つとの戦いです。一生懸命と言う言葉では言い尽くせないほど入りびたりで工夫するのです。
でもそうして一生懸命作った製品が完成し、お客様に使っていただけるようになると、身体の底の方から嬉しさがこみ上げてきます。
私は物事をいい加減で済ますことか嫌いです。
やり始めると首を突っ込んでしまい、つい一生懸命になってしまうのです。
趣味のギターもそうです。
素人ですからこれでお金を稼ぐことは出来ませんが、一生懸命練習すればかなり良い音がしてくるようになります。

尺八も一生懸命やっています。
何十年も使ってきたその尺八が、先日乾燥で割れてしまいました。
何とか直そうと一生懸命努力しました。
全体に湿度を与え、ほぼ元の形状になって来たところで、割れ面に接着剤を塗り、数か所を銅線で巻いて止めました。
銅線の巻き始めと巻き終わりをどうすればよいのか分からず、苦労しましたが一生懸命考えた末、尺八本体の竹を焦がさないようにすばやく半田付けすることにしました。
一生懸命修理した結果、音も異状なく、外観は銅線巻きのため貫禄が付いたようにみえます。
内面の塗装もしました。
家内はそんな私の姿を見て、新しいのを買ったら?と進めてくれますが、この尺八には愛着もあり、捨てることが出来なかったため、一生懸命修理したのです。

さて、話は戻りますが、会社で新製品開発をしていた時の一生懸命さは、「一所懸命」であったかもしれません。
この製品をこの会社でいま作り上げると言う場所のことや、上司と部下たちとの一致協力した人の和、これらの中で一心不乱に働いている姿は、何としてもでもやり切るぞ、約束を守り抜くぞ、という姿であり、まるで開墾した土地を守り抜いた「一所懸命」と似た感覚のようにも思えます。
会社に閉じこもり、何とかやり切ろうとしている姿は「一生懸命」には間違いありませんが、それ以上に「一所懸命」の姿であったように思えるのです。

更に話をさかのぼり、高校の時の受験勉強ですが、自分の人生は電気の道を歩くことだと決め、その道を歩くために必要な受験勉強に一生懸命取り組んでいたわけです。
一生懸命やったことは間違いありませんが、自分の人生を守り抜くためと言う明確な目的を持っていますので、自分の人生を何としてでも成功させると言う意志があり、「一所懸命」に通じるところがあったかもしれません。

「一所懸命の土地」→「一所懸命」→「一生懸命」となるにつれ、土地の死守の意味が無くなってきています。
その何かをなそうとする命がけの精神は共通していますが、特定のものを守り抜くという意味が薄くなってきているのです。

どちらを使っても間違いではありませんが、その命がけでも何かをしようと言う精神を示したい場合には「一生懸命」をつかい、特定のものを守りたいとの意思を込める場合は「一所懸命」を使うのが良いでしょう。



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