上司
人生を楽しむコツは
好きな道を歩くこと

 
会社では多くの上司がいますが、苦楽を共にした直属の上司は人生の中で大切な位置づけになります。
互いの信頼は深いつながりになっていきます。

苦楽を共にした上司

私が入社したころの会社はまだ小さく、開発関係は一人の課長と数名の設計の技術屋がいました。
やがて主任ができ、係長ができるなどだんだん大きなって来ました。
最終的には開発本部長の下にいくつかの開発部がつくようになってきましたが、私が入社した時の課長が常にトップに立ち、私がすぐその下につく形で長い年月を過ごしてきたのです。

会社は右肩上がりでどんどん成長してきました。
現在は飽和曲線となり、安定期に入ってきています。
この上司と苦楽を共にしたのは、成長している最中のことです。

開発、設計部門ですから新製品開発を行います。
他社に負けない製品を作り出さなければならないわけです。

私はモノ作りが好きで、子供のころから電気工作が好きでした。
夏休みの工作はたいてい電気関係のものを作りました。

しかし夢であった会社での開発設計というのは、子供のころの電気工作とは全く違うものでした。
内容自身は電気のものを作ることですから程度の差こそあれ、本質的には違わないのですが、会社で行う開発は強烈なものでした。
まず第一には、望まれる性能を発揮する製品を作り出さねばならないわけです。
それは楽しいことですが、時間的制約があるのです。
いついつまでに開発完了すること。という時間制約があるわけです。

さらにコストの問題があります。
売値はほぼ決まっていますので、安価に作れるように設計しなくてはなりません。
いくらコストをかけてもいいのならば性能を出すことはさほど難しくはありませんが、低コストで性能を出せるようにしなければならず、しかも時間制約があるわけです。

こういうものが欲しいというお客様の要望から新製品開発が始まります。
右肩上がりの発展期でしたので、どんどん仕事が入ってきますが、限られた人数ではなかなかこなしきれないのです。
20才台は言われたことをやればよいですからさほどでもありませんが、30才台から40才台初めころまでが一番大変でした。
上司も部下も正に一体です。共に泥の中を這いずり回るような感じで夜遅くまで頑張るのです。

製品が完成した時には喜びでいっぱいになりますが、共に「よくやったなぁ」と抱き合いたいほど嬉しさを共有することができます。
私も上司も共に喜ぶことができるのです。

互いの信頼関係が基礎となります。
その基礎の上に技術力という屋形が建ちます。
ずいぶん月日がたち、会社も部署も大きくなって人数も多くなりました。
でも、私の電気設計の所は、その上司がトップで私が2番手の形は保たれたままです。

その上司は副社長にまでなられ、私も開発部門を見る取締役となりました。
現役としての仕事はできなくなってきますので、二人とも2〜3年のずれはありますが顧問になりました。
顧問は若い人の指導が仕事ですが、学校の先生のようなことはしません。
若い人が行き詰っている時、相談があれば、サジェスチョンとか意見を言うわけです。

顧問としてパーテーションで仕切られた中で机を合わせて過ごしているのですが、相談事のない日は二人で雑談し、挙句の果ては椅子から落ちないよう注意しながらの昼寝です。
これで給料もらっているのは申し訳なかったです。

上司の死

その上司は私より7才年上でした。
顧問を務めているのも大変になり、その上司は退職されました。
私もその2〜3年後に退職しました。
しばらくは年賀状などでやり取りしていましたが、こちらから出しても、年賀状が来なくなってしまいました。

きっと体調不良なのだろうから、見舞いに行こうかとも思いましたが、ひどい姿だったら返ってご迷惑になるかもしれないと思い、遠慮していました。

ところがつい先日、突然、その元上司の娘さんから電話があり、亡くなられたことがわかりました。
場所や時刻など聞きましたが、会社の方へも連絡されましたかとお聞きしましたら、連絡方法がわからず困っているとのことでした。
娘さんの話では、父親の携帯を開いてみたところ、会社関係の電話番号は私以外すべて消去されていたとのことでした。

そのため私から会社に連絡し、関係者に全部連絡できるよう依頼しました。
通夜には会社の方々も皆来てくださり、連絡は完全でした。
告別式には社長も来てもらえました。

後日、故人の奥様(喪主)から電話があり、「貴殿のおかげで無事葬式を済ませることができました。ありがとうございました」、とお礼を言われました。

元上司は、体が弱っていくなかで、携帯を整理されてのでしょうが、会社関係は私一人を残してくださったのです。
苦楽を共にしてきた私たち二人、私はその人を信頼していましたが、その人は私を信頼してくださっていた証拠だろうと思います。
同じ好きな道を歩いてきた二人です。
心がつながっていたのです。



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