感謝の心は
人生を豊かにします

 
人生を楽しむためには感謝の心が大切なのです。感謝の気持ちは和を作ってくれます。
人は一人では生きられません。色々の人にお世話になるのです。
感謝する心は和やかな人生の基礎となります

感謝の心は人生の基礎

感謝とは

人生を楽しむためには感謝の心が大切なのですが、感謝とはどういうことなのか考えてみましょう。

感謝について辞書としては

 有難いと感じて礼をのべること
 有難いと感じる気持ち
 有難いと思うこと
 有難さを感じて謝意を表すること
 有難うと言うこと

などとなっています。

「有難い」と言う気持ちが示されていますが、それではこの「有難い」または「有難う」という言葉はどこから来ているのでしょうか。
実は仏教から来ているのです。

仏教の経典の中に、「盲目の亀と浮いている木」の事が記されています。
その内容は、釈尊の言葉として、

果てしない海の底に盲目の亀がおり、百年に一度海面に顔を出すのだが、
ちょうどその時流れてきた丸太にあいている小さな穴に、その亀の頭が入ることはあると思うかね。
と、阿難に尋ねられました。
阿難は、絶対にないとは言い切れませんが、ないと言っても良いと思います。と答えられました。
釈尊は、阿難よ、
私たちが人間として生まれることは、その亀が丸太の穴に頭を入れることよりも更に難しいことであり、
人間として生まれることは有り難いことなのだよ。

と言われたと記されています。
人間に生まれてくることは有り難いことで、たいへん喜ぶべきことだと言われているわけです。

有り難いとは、有ることが難しいと言うことで、滅多にないほどまれなことだと言う意味です。
この仏教の話から、滅多にないほど大変喜ばしく思うことを「有難く思う」と言うようになってきたのです。

「感謝」と言う言葉は比較的新しく作られた言葉であり、明治時代から使われるようになったと言われています。
他人から何らかの好意を受けることは滅多にないことであり、有難いことですから、感謝の心を持ちたいものです。

感謝の心

感謝の心を持つことと、感謝の心を表すことを区別して考えねばなりません。
同じ「感謝の心」なのですが、心の中に持っている状態と、それを表に出して表現することの違いです。

感謝の心を持つこと

有難いな、と思うことです。
普段何気なく暮らしているのですが、一つ一つに注意を向けてみると、非常に多くの事が有難いことだなと気づくことが出来ます。

車で出かける時の事を考えてみてください。
おそらく貴殿がお金を払って購入された車でしょうから、そこにあり、自由に乗ることが出来るのは当たり前だと思えます。
しかしよく考えてみてください。
江戸時代、お殿様でも自動車は持つことが出来なかったのです。
どこかの自動車メーカーの技術屋さんが苦心して設計し、工場で働く人が苦労して作り上げてくれたからこそ、ここに車があるのです。
その人たちに感謝の気持ちを持つこともできるわけです。
車を走らせ始めれば、そこには道路があります。
道路だって誰かが汗をかきながら作ってくれたからあるのです。ですから車を走らせることが出来るのです。

このように考え始めれば、数限りなく有難いなと思えることがたくさんあります。
もし、それが無かったらどんなに不便で困ることでしょう。
あって当然なのではないのです。
対価を払って購入すれば当然自分の物になるのですが、その物には多くの人の努力が宿っているのです。

毎日私は食事をします。
この食事は妻が作ってくれます。
妻が食事を作るのは当然の事でしょうか。有り難いとは思えませんか。
また、妻にしてみれば、食事の材料を買うお金を主人が稼いでくるのは当たり前の事なのでしょうか。有り難いとは思えないのでしょうか。

会社で仕事をすれば給料がもらえるのだって有難いことです。
その会社がなく、どこの会社でも雇ってくれなかったらどうなりますか。給料をくれる所はありませんよ。
この会社があり、雇ってくれ、仕事を与えてくれることに感謝の心を持つこともできるはずです。

でも、
いつも、いつもこんな風に考えていたら頭がどうかなってしまいそうです。
普段は気が付かない所にも、たくさんの「有難い」ことがあるのだと認識できれば十分だと思います。

そんな中で、親が本当に私を可愛がって育ててくれたことは、今になって思えば本当に有難たかったと思えるのです。感謝の心を持つことができます。

妻が毎日掃除をし、洗濯もしながら食事を作ってくれるのも有難いことだと思えます。ここにも感謝の心を持つことが出来ます。

このように感謝の心をもって過ごせば和(なごみ)が生まれます。
周りの人たちと和やかに暮らすことが出来ます。
そうすれば心は落ち着き、人との間柄も良くなってきます。
人生を豊かにし、楽しくすることができます。
人生を楽しむために、感謝の心は基礎となるのです。

感謝の心を表す

感謝の心を持つことが出来たなら、その心をどのようにして表すのが良いでしょうか。
あるいは表す必要はないでしょうか。
感謝の心を伝える方法はよく考えてみなくてはなりません。

例えばお歳暮とかお中元などは世話になった方に対してその感謝の心を伝えるためにお送りするものですが、形骸化している場合もあります。
上司にお歳暮を贈る時、どのように考えられますか。
おそらく、送っておかないと評価を下げられる心配があるので一応送っておこうと思われる方もいられるのではないでしょうか。
本当に、その上司に感謝の意を込めて贈られているでしょうか。もしそうならば、その感謝の心を伝えるための手紙を添えなければなりません。どのようにどれほど感謝しているのかお伝えしなくては意味が無いからです。
感謝の心を表すにはどうすればよいでしょうか。

会社で上の方になりますと、部下から歳暮がどんどん送られてきます。協力会社からも送られてきます。
一々お礼状を出していられませんから、会った時に、有難うと一言お礼を言う程度になってしまいます。
実際、私も上の方の方に送ったこともありますが、お礼状はおろか、会っても礼も言われません。当たり前になってしまっているのです。

そういう意味では、私が本当に感謝している人の所には年賀状に一言二言書き添えています。

感謝の気持ちを持つことが出来たなら、それをどう表現し、どう伝えるべきかは少し考えた方が良いです。
不相応な贈り物や、くどい表現になりますと、逆に、疑われることにもなりかねません。
そうかといって、家族ではない他人に対する大方の場合、何も表現しないのはよろしくないように思います。
感謝の心を持っていることは伝えた方が良いです。

私の両親はもうずいぶん前に他界しています。
しかしその両親への感謝に気づいたのは遅かったのです。亡くなってから気が付いたのです。本当に有難たかったと。
ですから、伝えることは出来なかったのです。

でも両親は怒ってはいないと思います。
私を育てている間に、私が無意識のうちに親の愛に答えており、親たちはその私の姿を見て満足していてくれていたと思われるからです。
私の子供がそうです。
私の子供が、私に対して「育ててくれてありがとう」などと言ったことはありません。
精々で、娘が嫁に行くとき、結婚式で花束をくれた時の言葉くらいのものです。

それで十分なのです。
以心伝心なのです。
無意識のうちに、自分の心は向こうに伝わっているのです。
生涯のなかで一番世話になり、一番感謝しなければならない人には感謝の心を表現しなくても、感謝の心は伝わるのです。

友達や親友などの場合は、以心伝心もありますが、やはり適当な時に適当な意思表示は必要です。
言葉の場合もあれば、品物の場合もあるでしょうが、度を越さないように注意をしながらお伝えするのが良いと思います。

感謝は人生の基礎

人生を楽しむためにも感謝の気持ちは大切なのですが、そのことをお話しする前に感謝の程度についてみてみましょう。

A 何時も大変世話になっている人や、心に癒しをもたらしてくれる人などに対する大いなる感謝
B 友達として付き合ってくれているような人に対する感謝
C とくには感謝の心は持ったことのない人
D 感謝どころか嫌いな人
E 癌か事故で死んでくれた方が良いと思えるほど憎い人

Eの場合は別として、貴殿の周りにこのような人が多分おられることでしょう。
ここでは「人」としましたが、「物」でも同じです。
大いに心を癒してくれる物、好きな物、どうと言うことのない物、嫌いな物、非常に嫌な物などです。

仏教の禅の言葉に、「日々是好日」と言う言葉があります。
「にちにち これ こうにち」と読んだり、「ひび これ こうじつ」と読んだりします。
奥深い意味があるようで、修行を積んで初めてわかると言われますが、表面上の文字通りにとれば、「毎日毎日が素晴らしい」という意味に解釈することも出来ます。
毎日が良い日となるよう努めるべきだとする解釈もあります。
更には、あるがままを良しとして受け入れることとする解釈もあります。
もっと深い解釈としては、日々について良し悪しを考えず常に今この時を大切にすることという解釈もあります。

ここでは「毎日が良い日となるよう努めるべきだ」と解釈しましょう。

どのようにして、毎日を良い日となるようにすればよいかは夫々その時その時に考えねばならないことですが、感謝の心を持つことは良き日とする一つの方法だと思います。
逆に、前述のDやEなどのように嫌いだ、いやだと感じていては良き日にはならないでしょう。
努めて、AやBのような感謝の心を持つことです。

常にとは言いませんが、できるだけ多くの機会に感謝の心を持つことで和みが生まれ、その人の人生は豊かとなり、悔いのない人生を過ごせるのではないでしょうか。



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