|
|
私の仕事は電気関係の新製品開発です。 新製品開発で一番大切なことは情熱です。 その製品を世に送り出しやるぞと言う熱い情熱が必要なのです。 私の仕事として好きな道を選んだからこそ、困難を乗り越えられたのだと思います。 私の選んだ道電気か数学か高校の頃、私は電気が好きでしたが物理と数学が得意でした。この先、好きな道である電気に進むべきか、数学の先生になるか真剣に考えました。 電気に進むとなれば会社に行くことになりますし、数学の先生になれば公務員になるわけです。 会社に行くとしても大メーカーで歯車の一つとして仕事をするのは嫌でした。 小さめの会社に入るとすればその会社の安定性は保証されませんが、好きな道に進むことが出来ます。 数学の先生になれば得意でもありますし公務員となって安定できます。 どちらの道に進むべきか本当に考えました。 方向によっては受験する大学も違ってきますし、そのための勉強内容も違ってきますから本当に考えました。 そうして出した結論は「好きな道を進む」と言う結論でした。電気の道を選んだのです。 大学生活電気工学科に入りました。特別な試験を受けて、大学からお金を支給される「給費生」として入りました。 そのため寄付金も授業料も一切必要ありませんでした。 さらに、学生でありながら先生の手伝いをする「助手」となり、大学から給料をもらえました。 電気工学科ですから、電気の実験が多くありますが、一つ間違えば大事な機械を焼損したり事故になりかねませんので、実験開始までには入念な確認が必要です。 先生がその実験準備が正確にできているかどうか確認されるわけですが、学生数が多く、とても先生一人では確認しきれないために助手が採用されたのです。 電気工学科のなかにもいくつかの分野がありますが、私は「高電圧工学」を学びました。 給費生として入ったわけですが、成績が悪くなりますと、その資格を失うことになりますのでなかなか大変でした。 数学と物理は得意ですから問題ありませんが、英語には苦労しました。 総合成績で上位に居なくてはなりませんので努力もしました。 そんなころ、好きな女性も出来て交際したり、友達と屋台で飲んだり楽しく過ごしました。 会社に入って大学の先生から紹介されて、小さな電気関係の会社に入りました。まだ出来てそんなに経っていない会社でしたので、設計開発の技術屋さんは10名前後でした。 大学卒の方も何人かおられましたが、新卒で入社したのは私が最初だったようです。 私の夢は将来、定年退職する時、部長になっていることでした。 全ての役職にその一歩手前の「心得」と言うのがあり、主任心得、主任、係長心得、係長・・・と上がって行きます。 入社3年目で結婚しました。 ちょうど時を同じくして、主任の辞令をもらうことができました。 主任は設計開発の直接の責任者です。 いくつかの新製品が開発されますが、その中の一つあるいは二つなどの事もありますが、部下2〜3名とともに商品にまで仕上げる責任者なのです。 入社3年目にして、新製品開発の一つを受け持つことになりました。 私の仕事として夢に描いていた電気製品の新製品開発の責任者となったのです。 電気が好きでしたし、物作りが得意でしたから、念願かなったのですが、いざここに来てみますとそんなにたやすいものではないことが良く分かりました。 会社は成長期に入っており、売り上げは右肩上がりです。 お客様の要望を満たすべく新製品の開発をするわけですが、当然競争会社もあります。 品質が良くなければなりませんし、性能が良くなくてはなりません。 ここまでは良いとして、コスト安にしなければならないのです。良い材料を使えば品質は良くなりますし、多くの部品を使えば性能も良くなってきますが、コストが上がってしまいます。 販売価格の目標が定められますので、ぎりぎりのコストで品質と性能を発揮できるように考えなくてはならないのです。 新製品開発と言う私の仕事はコストとの戦いだと言っても過言ではありません。 いくらお金をかけても良いのなら、高品質で高性能な新製品はすぐにでも作り上げることが出来るのですが、そうはいかない所が現実なのです。 課長になった時主任から係長になり、さらに課長になりました。この先にも進みましたが、生涯の中でこの課長になった時が一番うれしかったです。 まず第一に家族を養っていける給料が保障されたことです。 家内に内職させなくても食べていくことが出来るようになったと、安心できました。 二番目には、部下の数も多くなり、新製品開発のすべてを取り仕切る地位になれたことです。 ところが、喜んでばかりはいられませんでした。 主任たちが中心となって新製品開発をしてくれるのですが、問題事項にぶつかった時には上司としての責任でその問題を解決してやらなければなりません。 複数の新製品開発をしていますから、問題だらけなのです。 主任が行き詰っている問題事項は容易な問題ではありません。ちょっとサゼッションするくらいで解決できるような簡単な問題などありません。 そのため深夜残業と言うよりも、夜中の2時3時まで問題解決に取り組み、家に帰ってちょっと寝るだけです。 8時の定時には出勤しますから、まるでナポレオン級の仕事になりました。 子供の顔は寝顔しか見ることが出来ないのです。 土曜日も平日勤務です。 日曜と祝日だけは休みでしたが、その大半は会社に行きました。 私の仕事そのものが私の生活なのです。 大変でした。 若くて体力もありましたし、いかにしたら解決できるのかを深く考えることが私の仕事であり、好きな事ですから嫌だとは思いませんでした。 新製品開発の課長は寝る暇もないほど忙しいことが身に染みて分かりましたが、嫌ではなかったです。そういう仕事が面白いですし、好きだからです。 たまの休日には家内とドライブに出かけました。 家内は今でも当時の事を振り返ってよく言うのですが、「時々ドライブに連れて行ってもらえたからストレス解消になったの。もしそれが無かったら別れていたかもしれない」と。 新製品開発には、情熱が必要なのです。 問題解決のためにはとことんのめり込まなくてはなりません。製品と一体になってこそ、その製品が語り掛けてくれるのです。 どの部分を治してほしいと言う言葉が聞こえてくるのです。 その製品に惚れ込み、情熱をささげてこそ、新製品の開発は成し遂げられるのです。 新製品開発の課長としての私の考え方です。 その姿を見て、デゴイチ型だといわれました。 デゴイチというのは、蒸気機関車のことです。一台の機関車でみんなを引っ張っている姿です。 部長になった時このように全部の新製品開発を私が仕切っていたわけです。毎日毎日、私の机の前には二人も三人も立っています。 まるで聖徳太子のように、同時にその人たちの問題点の相談を受けているのです。 しかし会社がますます大きくなり、とてもデゴイチではやりきれなくなってきました。 新幹線型に変わったのです。 社長がそんな私の姿を見て、これでは会社の発展に限界が来ると考えられて方向をかえられたのです。 新製品開発のやり方を根本的に変えられたのです。 新幹線と言うのは、各車両にモーターがあり、それらが一斉に作動するからこそ大きな力が出せるのです。 新製品開発は幾人かの人に分担してもらうことになりました。 新幹線型の新製品開発に切り替えられたのです。 そうして私は部長になったのです。部長とは言わず、所長と言われましたが、部長の意味です。 入社の時、夢に描いた部長になれたのです。 しかし多くの部下たちが私の考え方を見て育っていますので、それぞれの人が新製品開発においては、その製品に情熱をもってくれています。 本当に新幹線のように多くのモーターが力を合わせて会社を推し進めてくれるようになりました。 研究、開発、設計、生産、販売製品が世に出ていくのには、こう言う段階があります。研究、開発、設計と、生産、販売です。 私はおもに研究、開発、設計をしてきました。 工場での生産には直接関与していません。 開発のためのお客様との交流は多くありましたが、販売のための営業活動はほとんどしていません。 設計図を工場に出すまでが私の行ってきた主な仕事です。 研究簡単に言えば、10年先に会社は何を作ればよいか原型を考え出すことです。社会情勢の変化や、競争会社のやりそうなこと、お客様の要求の在り方など10年先の事を予測しなくてはなりませんから、結構難しい仕事です。 仕事の時間は余裕があります。 残業して考えても何も生まれません。それよりも雑談していた方が良いです。 毎日朝礼をしていましたが、今日の仕事内容の予定などではなく、当番制で話題提供するようにしました。 雑談の口火を切る役目です。 30分くらい毎朝雑談してから仕事に取り掛かります。 予測調査などもありますが、その結果から、こういう物を生み出すべきだとの結論を出し、実際にそのようなものが出来るかどうか試してみるのです。 試してみると言うよりは、こういう物を作りたいと考えたら、そのものを何としてでも作ってみるのです。 世の中にまだない製品です。 どうやって作れば作れるのか誰にも分っていません。 ですから研究なのです。 どうやれば良いのか、その仕組みはどうするべきか研究するのです。 どの仕事においても必要なことは、その仕事内容に惚れ込み、好きにならなくてはいけません。 情熱をもつことが必要なのです。 いやいややっているのでは決して良い結果は出せません。 誰も作ったことのない10年先に販売される製品を今、自分が考え出しているのです。 一発でできるわけがありません。 作ってみても失敗です。 こうすればどうかと考え作ってみてもまた失敗です。 数名の研究員が居ましたが、それぞれ目標を定めてその誰も作ったことのないものに挑戦しています。 一年かけてもまだ出来ないのが当たり前です。 しかし三年かけてもできないならもうだめです。時間切れです。 研究としての物は出来ても、まだ開発と設計が必要ですから本当に10年かかります。 数名の研究員が研究を続けてくれましたが、その中で成功できたのは二人だけです。 私のいる間に物になったのは二つだけでした。 研究は会社として必要なのですが、お金がかりかかります。ひょっとしたらお金ばかりつぎ込んでも何も出てこないかもしれないのです。 私の場合、二つ出てきたのですから立派なものでしょうと言いたいです。 研究として出来上がったものは、原理試作のようなものです。 なるほどこういう物かと説明のための製品と言った方が良いでしょうか。 実際の製品になるまでにはまだまだ時間がかかります。 開発新製品開発には二つの入口があります。一つは会社において研究され、このようなもの、として示されたものを実際の形にして行く仕事。 もえう一つはお客様からこのようなものが欲しいと言われたものを実際の形にしていく仕事です。 入り口は二つありますが、そのどちらも同じです。 どちらも、このようなもの、と言われただけですから、それを実際に機能するものに作り上げなくてはなりません。 お客様からの場合は、このようなもの、と言うことを示すために仕様書が発行されることもあります。 どのような動作を行い、どのような性能を有することと記された書類です。 お客様の場合でも仕様書はなく、口頭でこのようなものは作れないかなぁと話を持ち掛けられる場合があります。 仕様書のある場合は複数の会社に開発依頼されることが多いのですが、口頭の場合は当社だけに依頼があるのです。 私は今述べました全部の開発を手掛けてきましたが、最終的に取締役にまで登ることが出来たのは、このお客様の口頭依頼のおかげです。 私の会社の主なお客様は電力会社ですから、10社しかありません。 その中のあるお客様と非常に息が合い、あれは出来ないか、これは出来ないかと持ち掛けられるのをどんどん製品化することが出来たためです。 このお客様は当社の売り上げでは下から2番目でしたが、このどんどん製品化して売り上げたため、上から2番目になる上得意様になったのです。 会社にしてみますと、それだけ売り上げを伸ばしたのは私だと思えたのでしょう。 そのおかげで取締役にまでしていただけたのです。 新製品開発と言うのは、研究ではありませんが、やはり今までになかったものを作り出すことです。 どうすればそのような動作が出来るか、どうすればそのような機能を実現できるかを考え、実際の物にしていくのです。 まだこの段階では多少コストの事は度外視せざるを得ません。 とにかく動くものにしなくてはならないからです。 出来上がったものは、なるほど要求は満たしていますが、世に出せるものではありません。 品質とコストの問題を解決しなくてはならないのです。 設計設計とは実用化を図るために生産のための図面を作成することです。新製品開発の続きですから、この設計も開発には違いありませんが、私の会社では一応区別していました。 開発まではコストを度外視してでも機能を満足させることが重点となり、その後、設計においてコストをも加味して実際に生産し、商品として販売できるようにするのです。 コスト競争に負ければ他社に取られてしまいます。 何としてでも安く作らなくてはなりません。 でも、必要な品質は保持しなくてはいけませんし、機能も満足させなくてはなりません。 使っているうちに錆びてしまってもいけませんし、壊れてもいけません。 どのような材料で作ればよいのか、どのような形の部品にすればよいのか考えに考え、知恵を絞らなくてはならないのです。 ここでもその仕事についての情熱が必要です。 何としてでも実用になるものにしてみせるぞとの決意と情熱が無くては設計もできません。 私の仕事はこれだと惚れ込み、熱中しなくては決して良い結果は出せません。 そうは言っても簡単にできるものではありません。問題ばかり出てきます。解決できない問題が山積みになるのです。 ようやくそれらの問題点を解決し、生産部門に渡すべく量産試作してみますと、隠れていた問題点が出てくるのが常です。 まあ、ここで出てくれればありがたいです。 一番困るのは、お客様の手に渡ってから出てくる問題点です。 場合によってはリコールとなることもあります。 これには多額のお金がかかります。会社として多くの損失になるわけです。 自慢にはなりませんが、実は私もいくつかのリコール問題を起こしているのです。 首にならなかったのは、それ以上に新製品開発による販売の方が多かったからだとは思いますが、会社やお客様に迷惑をかけてしまいました。 私の仕事は生産部門に図面を出すまででしたが、生産部門でも色々の問題を解決し、販売でも色々の苦労があるのです。 皆の協力のもとに会社は成り立っているのです。 |