子供のころから
好きだった電気

 
電気は子供のころから好きでした。きっかけは田舎の我が家に電線を引いてくれた電工さんを見たことです。
それから電気が好きになり、電気機関車やトランスなどを作りました。

まだ小さい頃、撮ってもらった写真は別として、私が覚えている一番古いことは電気工事屋さんの姿です。
私の家は農家で、町から2〜3km離れた田舎でしたので、まだ電気が来ていなかったのです。
そこへ、電柱を立て、電線を引いてくれた電工さんの働く姿を毎日見に行っていました。
まだ4歳か5歳だったと思います。

電工さんが蛇を捕まえてきて、火であぶっていましたが、「坊や、君の所に醤油はないかね」と言われ、家から醤油を持って行きました。
すると、「どうだね食べてみるかね」といわれ、一切れもらって食べてみました。
硬かったですが、美味しかったことを覚えています。

それからは電工さんの真似をするのが楽しみになり、下の部屋から2階の奥まで、タコ糸を張り巡らして遊んでいました。

しかしある時、タコ糸を張っている踏み台から落ちて囲炉裏の中に突入してしまいました。
囲炉裏には大きな鍋がかけてあり、ぐつぐつ麦が煮てあったのですが、それをもひっくり返して火の中に落ちてしまったのです。
大やけどとなり、父が医者に連れて行ってくれました。その頃は珍しかった自転車で連れて行ってくれましたが、今でもそのことは覚えています。

火傷の事は別として、そのころから電気に興味を持つようになり、親は「子供の科学」という雑誌を毎月買ってくれました。
小学校の3年生の頃には鉱石ラジオを作りました。
何台も作り、アンテナも張って放送の聞こえるのに感動しました。

扇風機を作ったこともありますし、トランスを作ったこともあります。
トランスは中学になってからだったでしょうかね。
子供にしては大したものだと言うことで新聞にも載りました。県大会まで行きました。

それからも本格的なラジオを作ったり、電蓄も作ったりしました。
低音領域をよく響かせるためにはスピーカーの箱の大きさや形が重要であり、その計算にはLOGと言うまだ学校で習ったことのない計算も必要でした。
電気には数学も必要だったのです。
でも、私は数学も好きでしたのでその計算をこなし、良い音のする電蓄にすることが出来ました。

少し話は戻りますが、小学校の頃、電気機関車を作りました。
組み立てれば出来上がると言うキットはありませんでしたので、モーターや歯車など一つ一つ買い集めて作り上げていくのです。
レールを部屋いっぱいに敷いて、動かしているところを母親が見に来ました。そしてとても喜んでくれたのです。
電車を喜んだのではなく、私が作り上げたと言うことが嬉しかったのです。

そのようわけで私は電気が好きになり、両親もそのために使うのならと言うわけですこし多めに小遣いをくれました。
とは言っても十分な額ではなく、何か月もかけてやっと一つのまとまったものが作れる程度でした。
鉱石ラジオの鉱石をゲルマニュウムに変えた時はびっくりするくらいよく聞こえ、驚きましたがずいぶん高かったです。

中学、高校になっても電気は好きでした。
電気は物理学の一部ですが、物理学が得意でしたので電気の基礎も良く分かり、ますます好きになって行ったのです。

電気の道に今後行くべきかどうかは大変な問題でした。
数学も得意でしたので、数学の先生になる道も考えました。
本当に自分の人生をどうするべきか、高校の時には真剣に考えました。

そうして、決心したのが「電気の道」に進むと言うことでした。
これが、私の人生を決定したのです。

好きな道を歩くこと。
これが私の基本的な人生設計なのです。



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