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「大切」と言う言葉は一番必要で、貴重であること、あるいは肝要であることを示しますが、その始まりは歌舞伎の幕にあるのです。大切と言う言葉大切と言う言葉の始まり歌舞伎では、一幕ごとの最後の場を切(きり)と呼ばれます。その歌舞伎で、一日の興行の最終幕最後の場面を大切(おおぎり)と言います。 江戸時代の後期ころまでは、二番目狂言世話物の最終幕を指して「おおぎり」といっていましたが、幕末になって二番目狂言が終わった後にさらに一幕がつけられるようになり、「おおぎり」はこれを指すようになってきました。 このため両者を区別する必要が生じ、前者のことを二番目大切(にばんめ おおぎり)、後者のことを切狂言(きりきょうげん)と言分けるようになってきました。 なおこの切狂言は、舞踊劇や所作事が多くみられました。 これらの事が元となって、演芸などの興行における最後の演目を「大切(おおぎり)」と言われるようになりました。 しかし江戸時代も後代になりますと、「切る」では縁起が悪いということで「大喜利(おおぎり)」とも言われるようになりました。 現在でも「大喜利(おおぎり)」は使われています。 寄席においてトリ(最後を飾る出演者)がいない場合、アンコールに相当するサービスとして行われるものを「大喜利」といいます。 余興として、その日の寄席の複数の出演者が再び登場し、観客からテーマをもらって互いに芸を競い合うこともあります。 「喜利」は客も「喜」び、演者も「利」を得るという意味の当て字になっています。 いずれにしましても、「大切」は歌舞伎の最後の幕を示す言葉として使われ出したのが始まりなのです。 大切の意味四つに分けて説明します。@大切 (おおぎり) 歌舞伎で、一日の興行の最終幕最後の場面。 A大切り (おおぎり) 大きく切り分けた魚や肉、野菜のこと。またそのように切ること。 大きさや形状によっては、ぶつ切り、角切り(かくぎり)などともいわれます。 B大切 (たいせつ) キリシタン用語としての「愛」の意味。 切支丹は愛を説いています。 神の愛を言葉として表したかったのですが、日本語としての愛は不義につらなる意味ももつため、この訳語に困惑し、苦心のあげく、大切という言葉にたどり着きました。 神の言葉として、余は汝を愛す、というのを、余は汝を大切に思う、と訳して使われたのです。 C大切 (たいせつ)・・・(私が言いたかった「大切」) 大いに重要なこと。 要点。 丁重に扱うこと。 親愛を感じる。 かけがえのないものとして心を配ること。 丁寧に扱うさま。 「大切」と「大事」の違い「大切」と「大事」はよく似ていますが、少しだけ異なっています。大事の中の「大事(おおごと)」の意味は除きます。 ・「大切」:心から必要としていて、慎重に注意深く扱うさま。 ・「大事」:自分にとって必要と考えて、しっかりと扱うさま。 もう少し具体的に言いますと、 「大切」は、愛情や思い入れが含まれている重要なこと、 「大事」は、気持の入っていない重要なこと、 と言えます。 このため、「おからだを大切に」とか、「大事を決行する」などの差となってきます。 |