友達が欲しい
友達の作り方
親友の作り方

 
人生を楽しむためには友達も欲しいです。共に語り合える友達が欲しいです。
友達を作るには行動を共にできるクループに入るのが近道ですし、親友は焦らなくても自然にできるものです。
友達の作り方や親友の作り方、友情などについてお話しします。

友達が欲しい

友達の作り方

友達と言ってもいくつかのレベルがあります。

a ほんの1〜2人の何でも相談できるような親友。
b 数名程度のいつも会っている仲の良い友達。
c 年賀状だけ程度の軽い友達。
d 知っているだけの友達。

ここでは、b の仲の良い友達を作ることを考えてみます。

学生や会社勤めの場合には大抵そういう仲良しの友達はできやすいです。
同じような考え方を持っている人が近くにたくさんいるわけですから、無理しなくても何人かの集まりができやすいのです。
しかしそういう場にあっても友達が出来ない場合があります。

自分が中心になって数名の友達を作るよりも、すでに数名が集まっている友達の輪の中に入って行くのが早いです。
その輪の中の一人と仲良しになれば、その輪の全員と交流できるようになります。
問題は最初のその一人と仲良しになれるかどうかです。

若いうちと言うか、幼いうちは全く問題なく一緒に遊ぶだけで友達になれるのですが、年齢を重ねるにつれて難しくなってきます。
中学生程度までは友達がいないと悩む人は少ないと思いますが、大学になりますと輪の中に入り損ねる人も出てきます。
会社の場合は上司と部下と言う関係は嫌でもできますが、一杯飲みに行こうやと言う人の出来ないことがあります。
もっと年齢が進んで、定年退職してからとか、後期高齢者になってからなどと言う場合にはだんだん友達が作りにくくなってきます。

幼いうちはすぐ友達が出来るのに、年とともに出来にくくなってくるのはどうしてでしょうか。
それは、自分が自分の殻の中に閉じこもってくるからです。

友達ではなく、恋人の場合には自分の殻は脱ぎ捨てて求愛します。
一緒になりたいと言う気持ちが非常に強いからです。
自分を大事に思う以上に相手の事を思うわけです。

年とともに友達が作りにくくなるのは自分と言う意識が強くなり、他の人との協調性が無意識のうちに失われてくるのです。
そうしますと、心配が先立つようになります。
友達になってもらいたいと思っても、嫌われたら困るので言い出しにくいと思うのです。
もし、幼かったらそんなことは考えもしません。みんなぶっつけ本番です。友達になってくださいなどとの言葉は使わないでしょう。
自分の殻を持たず、他の人とすぐに協調できるわけです。

今、ある程度の年になっていて、友達が欲しいと思われるならば、友達になってくださいと頼むよりも、行動を共にするのが良いです。
散歩なら、道を同じにして、少し会話するのです。
何回かそんなことをしていれば、お茶でも飲んでいきませんか、と言う具合に近づいて行けるわけです。
これで、もう、友達になってしまったのです。

実例をお話しします。

私の息子が嫁さんをもらいました。
その嫁さんは遠い所から来てくれたものですから、ここでは知っている人は一人もありません。
隣近所の人ですら、どこの誰だかもわかりません。
そのため、一年近く、専業主婦でただひたすら旦那の帰ってくるのをじっと待っている状態が続きました。

これではいけないと私も思い、「友達をつくってみたら?」と話しましたら、「私もその必要性を考えていたのですが、どうしたら友達ができるか分からなく困っているのです」と言います。
それで私が提案しました。
市で色々のクループ活動を行っているからその中に入ってみたらどうかね。卓球か大正琴ならグループの知り合いが居るからもし希望するなら紹介するよ、と。
そうしましたら、数日もしない間に、公園でバードウォッチンククラブ(野鳥の観察会)があるのをみつけましたので、そこに参加することにしました。と話がありました。
一発で解決してしまいました。

友達を作るには、行動を共にできるグループ活動に参加するのが一番近道です。
友達作りのコツは行動を共にすると言うことです。

親友の作り方

親友と言うのは本当に心を割って相談したり、その人のためなら多少の協力は惜しまないと思うことのできるような友達の事です。
普通に仲の良い友達とは少し違います。
私の経験では、本当に親友と言える友達が出来たのは大学の頃です。

幼いうちの友達は幼馴染と言った方が良いでしょう。
いつまでも仲良くは付き合いできますが、人生相談的な悩み事とか進路の相談などするような友達ではありません。

また、定年過ぎてからもそのような相談できる友達はなかなか作りにくいものです。
ただ、ずいぶん年取って、70前後で親友に近い友達は出来ています。
おそらくこれが最後になるような感じがしています。

親友はどのようにして作るのか。

答え・・・親友を作るぞ、と考えて出来るものではありません。

ある時、自然発生的に出来てくるのです。
最初から親友が出来るのでもありません。
友達付き合いをしている間に、普通の友達と少し違う感じで親密になってくるのです。
何人かいる普通の友達と違って、心が通い始めてきます。こちらが信頼し、親密になって行くに従い、その友達も私に対して同じように信頼を寄せ、親密に付き合ってくれるようになるのです。

親友になってくださいとお願いするものでもありません。
ただ、そのように信頼し親密になってきている時、互いに確認の意味で「これからも変わらずたのみますよ」、程度の言葉は使うかもしれませんがプロポーズするわけではありません。
普通の友達と違う付き合いをお願いしなくても、そうなってしまうのです。

親友は作ろうと思って作れるものではありません。
おそらくそうしたいと思っても片思いになる可能性の方が高いのではないでしょうか。

また私の例で申し訳ありませんが、相互に心から信頼できる一番の親友は偶然に出来ました。
大学に行っている時、アパートに住んでいましたが、ベニヤ一枚の壁ですので隣の音も廊下にも筒抜けです。
廊下を歩いている時、ある部屋からギターの音がします。
私もギターが趣味でしたので、知らない人でしたがノックしてみました。

快く受け入れて頂き、二人でギターを楽しみました。
すると、その方は、「私はギター教室に通っているのですが、貴方も一緒に行かれませんか」と。
それで私も行くことにしました。
その方はバスで通っておられたのですが、私はポンコツですがオートバイを持っていましたので、その方を後ろに乗せ、ギターを2本抱えてもらって教室に通いました。
その方は、バスで行くより有難いと言っておられましたし、私も良い教室を紹介してもらい嬉しかったです。

その人の部屋で合奏したり、私の部屋で合奏したりしていましたが、その合間に色々話をします。
互いに彼女のある状態でしたので、そんな話になって行きました。
私の彼女との問題について話をし、色々意見も言ってくれました。

ある時、その人の彼女がその人を訪ねてアパートに来られたのですが、あいにく留守でした。
それで、その彼女が私の所に来て、どうしたらよいかと相談されましたので、結局その彼女をオートバイに乗せて彼の所まで連れて行ったこともありました。
だんだん彼との付き合いは深くなり、結婚式にも招かれたり、家の引っ越しの手伝いをしたり、新しい家の新婚さんの所へギターを持ってお邪魔したりしました。

所がその彼は、実は結核を患っていたのです。
人にうつる結核ではありませんでしたので、付き合いそのものは問題ありませんでしたが、家の中ではビニールのチューブを引っ張って来て鼻に入れていました。
年数がたつにつれ、快方に向かうどころか反対に重症化してきました。
更に目も患い、ギターの楽譜が読みづらくなって、特大の楽譜を作っていました。

彼ら夫婦も私の家に来てくれましたが、私が彼の家に行くことの方が圧倒的に多かったです。
私は車があったからです。
彼も車を持っていましたが、目が良くなく、運転しづらいので免許を返上してしまったのです。

車で1時間少しかかりますので、午前中に出かけて行き、昼食に一杯飲んで、酔いがさめるまで話をしたりギターを弾いたりです。
奥さんがご馳走を作ってくださいますので、私は全くの手ぶらで出かけます。
何か手に入った良いものが家にあれば一緒に食べるために持っても行きますが、訪問のために手土産を持って行かねばならないと言うような仲ではないからです。
そうして遊んで家に帰ってきますともう夕方です。結局1日仕事です。

人生を豊かにするためにも親友は欲しいものです。でも、親友とは、作ろうとしてできるものではありません。
お願いして親友になってもらうものでもありません。
自然にできるのです。
こちらが信頼し、好きになればその人も私を好きになってくれ、親友になって来るのです。
そういう機会を焦らずに待つことだと思います。
意識していなくても、いつか必ずそういうチャンスが自然に訪れると思います。

友情とは

友情と言うのは「愛情」とは違います。
愛情は当然異性関係の場合に使われる言葉ですが、子供に対する愛情とか、ペットに対する愛情などもあります。
しかし友情は子供やペットの場合とは違いますし、恋愛の時に抱く感情とも違います。

友情とは、互いに好感を持ち、信頼でき、特に親しい人間関係になった他人に対して持つ感情です。
家族など血縁関係において持つ感情は友情ではありません。友達と言うのは相手は人ですから、ペットや物に対して持つ感情ではありません。
他人に対して親しみを持つ感情ですが、愛情と異なる点は、自己犠牲を許せるかどうかだとも言われています。
恋人に対する愛情の場合は、その人を自分のものにしたいと言う欲求が強いですが、友情においてはその人を自分のものにしたいと言う欲求はありません。
友情の場合は、むしろ、その人が望むなら自分を犠牲にすることをいとわないのです。もちろん限度はありますが、自分の出来ることならば、損得を考えず、その人のために協力を惜しみません。
自己犠牲と言いますと少し大げさですが、協力できるというように解釈していただければよろしいと思います。

ただの知り合いから何かを頼まれた場合、ずうずうしい人だなと、感じるでしょうが、友達付き合いしている人からならばさほどにも思わず協力してやれます。
親友ともなれば大分大きな頼まれ事でも協力を惜しまないでしょう。

日常的に普段使われる言葉として、友情関係の強弱によってその言いまわし方が異なってきます。
友情関係の最も弱いものは「知り合い」と言われますし、最も強いものとしては「生涯の親友」などと言われます。
この「生涯の親友」と言われる友情の場合は、たとえ長い間離れ離れになり、会うことが出来なくても信頼関係のつながりは切れることなく、互いに無条件で信頼関係を継続できる関係にあります。

友情は互いに自発的に抱く感情であり、野球などスポーツ仲間の連帯感とは異なるものです。これらの仲間意識は同じ目標に対して信頼し合って行動することが要求されますが、自発的ではないからです。
ただ、この行動を共にすると言う仲間意識から、友情に繋がる場合は多々あります。
クラブ活動をしているうちに、その中の1人、あるいは数人と特別に仲良くなり、クラブ活動の全体の達成目標とは別に信頼関係が出来て来て友情となって来ることも多くあります。

友情と同性愛とは異なるのか同じなのかと言う議論もあるようです。
私の見解としては、異なるように思われます。友情には「性」が入って来ないからです。
また、異性との間に強い友情はありうるのかと言う議論もなされています。異性との間に軽い友情が存在することは私自身経験もし、継続していますからその存在は否定できませんが、「性」を抜きにして強い友情を持てるものかどうかは私には分かりかねます。
このような特別な場合については議論がなされていると言うことであり、色々な意見があるようです。

人生はその人にとって一つしかありません。
別な人には別の人生があります。
さらにその人生をどのように感じるかと言う人生観はまた人それぞれによって異なります。
人生の中のある一部分だけに注目して、同じ経験であったとしても、それを良かったと思う人もあれば不快だったと思う人もあるのです。
そのため人生観は色々のとらえ方がありますからこれが良いと言う絶対的なものはありません。

しかし人生を楽しむためには友達を持ち、親友と言いうる友達もあった方が良いのではないかと私は思います。

楽しい人生とするには友情を持つことも大切なのです。



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