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運には、 1 「引き寄せられる運」 2 「引き寄せられない運」 3 「意志や努力の場において偶然引き寄せられる運」 の3つがあります。 2は偶然転がり込んでくる運ですからあてにしない方が良いです。 1と3は意志と努力において勝ち取る運です。努力しながら待ちましょう。 運は引き寄せられるものか運とは「運」とは、「自分の意志では制御できないめぐり合わせ」、と辞書には書いてあります。本当にそのまま解釈すれば論ずるところはありません。 自分で引き寄せることなど出来ないと、辞書には書いてあるのですから。 更に、ここには「運」の大きさについて断りがないわけですから、大きなことだけでなく、小さなこともすべて運であると考えるならば、人生の中で起こるすべての出来事やすべての出会いは運であり、自らは制御できないことになります。 自らの制御ができないまま、人生を過ごしていくのであれば、その人生の道筋はあらかじめ神が決められていたと言うことになります。 すなわちすべて運命として定められている道の上を定められているように歩いて行くのです。 すると、人生は運命論に行ってしまいます。 しかし、運命として定められているのかどうかは色々の説があり、確定しているわけではありません。 と言うことは、運は自分で制御できないと言うことも確定しているわけではありません。 色々の意見や考え方があるのです。 辞書に書いてあるのはある一面から見た見方です。 そもそも「運」とは何かは定義できていないのです。このようなものだと例をあげているにすぎません。 その証拠に、運の大きさの定義がないのです。 運とは引き寄せられるものかと言うことについて、 私は、「引き寄せられない運」もあり、「引き寄せられる運」もあると思います。 更にもう一つありますが、これらを一緒に論じようとするから無理が出てしまうのです。 私が両親のもとでここに生まれましたが、生まれるのを拒むこともできませんし、別の所に生まれることもできません。 少なくとも、私の生まれることについては、私の意志や努力では制御できません。 これは「引き寄せられない運」であることは間違いありません。 しかし自分で引き寄せられる運もあると思います。(詳細は後述します) 運を認識する時期箸の上げ下げから大学とか色々の事や色々の出会いなど、人生と言う時間の中では様々なことが続いています。そんななかで、運が良かったとか、運が悪かったなどと運を認識する時点はどこでしょうか。 結果論と言う言葉がありますが、運は結果で評価されるものなのです。 ここで運と言っているのは、人生を左右する程度の大きさを持つ場合を考えています。 箸の上げ下げはここでは運には含めません。 私は77才になりますが、この自分の人生を振り返ってみますと、いくつもの運を貰っています。 大学や仕事など自分の努力の結果得られた幸運が多いのです。 しかしその時その時の時点、大学に行っている時とか仕事をしている時などには、その幸運の中にいることに気が付いていないのです。 後になって考えてみると、あれは本当に幸運だったのだなと思うことが出来るのです。 このように運の中にいるその時点では、運を手にしていることの認識がなく、後になって運だったと分かるのです。 私の運の経験人生において77才になった今でも思うことの出来る運について私の経験をお話しします。電工さん 私の好きな道として一生を決めたのが、電気工事の電工さんとの出会いと言う運です。 小さい頃、まだ電気の来ていなかった我が家に電気を引いてくれた電工さんの姿が印象となり、私は電気の事が好きになったのです。 大きくなってもこの好きな道、電気の道を歩むことになったきっかけを作ってくれたのがこの電工さんです。 高校の時の決意 私は数学と物理学が得意でした。 数学の先生になるか、電気の会社に就職するか随分考えました。 結局好きな道に進むことにしたのですが、一生を左右する賭けでした。 電気の道を選ぶことにして運が良かったと思えます。 別の道を選んでいたら、これだけ幸せな人生は送れなかったのではないかと思えるからです。 大学の合格 電気の道を歩くためには大学で電気工学を学ぶ必要かありますが、私は数学と物理しかできないのです。 ほとんどすべての大学の入試科目は多義にわたり、英語などもありますので困りました。 蛍雪時代と言う月刊誌をもとに色々調べましたら、入試科目として数学と物理だけの所が見つかったのです。 給費生と言って大学からお金が出るのですから超難関です。 猛勉強して合格することが出来ました。 この大学の存在を見つけられたことは幸運でしたし、合格できたことも幸運でした。 もし見つけていなかったり、勉強不足で合格できなかったら違う人生になっていたと思います。 大学の先生 電気工学科の担任の先生には私の人生を左右するほどのお世話をおかけしました。 授業は普通の先生とあまり変わりませんが、公私ともにお世話になったのです。 やはりこの先生が居られず別の先生だったら人生が変わっていたことでしょう。 この先生が私の担任になられたという運は、私の意志ではありません。 しかしこの大学に入り電気工学に在籍したのは私の意志と努力の結果です。 先生とお会いできたと言う運は、「引き寄せられない運」と「引き寄せられる運」の両方の性質を持っていると思われます。 言い換えれば、「意志や努力の場において偶然引き寄せられる運」であったと言えます。 この先生には、私の恋人の問題で実家に行ってもらったことまであります。 学生でありながら、先生の助手として給料を貰い、他の学生に指導する立場にしてもらえました。 就職の世話もしていただけました。 この先生の紹介で会社が決まったのです。 この会社でずっと仕事をすることが出来たのです。 この先生にご指導いただきお世話してもらえたと言う幸運に恵まれたのです。 会社での仕事 私は電気関係の設計をすることが夢でしたが、この会社でまさにその夢がかなえられたのです。 新製品の開発設計を行ってきたのです。 22才で入社し、75才まで53年間同じ部署で開発設計に携わることが出来たのです。 この幸運を引き寄せたのは自分の意志と努力が元になっていると思います。 ただ、偶然的な要素も同時にあります。 蛍雪時代に大学が紹介されていたこととか、その大学に素晴らしい先生が居られた偶然などです。 お客様のおかげ 会社は電気製品の製造販売を行っていますが、右肩上がりの当時、新製品開発はお客様の意向によるところが大きかったのです。 うちの会社のお客様は、日本に10社ほどしかない大きな会社がお客様です。 お客様の会社には設備関係の担当の方が居られ、直接技術的打ち合わせを行うことがしょっちゅうでした。 しかしほとんど全部の会社の担当の方は、いかにもお客様らしく威圧的で上から目線でした。 こちらもそれは分かっていますから、それなりの対応をして新製品を開発し売り込むわけです。 ところが、ある時、ある一社の担当の方と私がどういうわけか意気投合してしまったのです。 まるで友達のようになってしまいました。 するとどんどん新製品の話が持ち上がり、こういうようなものが作れないか考えて欲しいと言う依頼が後を絶たないのです。 それを受けてどんどん開発し、買っていただきました。 お客様の会社でも、その担当の方は設備を最新式にし、会社自体に貢献したと言うことで評価されました。 普通は我々メーカーがお客様を接待しご馳走するのですが、一生に一度だけ、逆があったのです。 その評価された担当の方が、私のおかげだと言って自腹で私を接待してくださったのです。 そんな仲になりましたのでその会社への売り上げはすごい勢いで伸びました。 私の会社では、どれだけ努力したかで出世が決まるわけではありません。 どれだけ多くの新製品を開発したかでもありません。 どれだけ多くの売り上げをして会社に貢献したかで決まります。 この会社への売り上げがダントツに伸びたことから私は部長になり、さらに取締役にまでなれたのです。 この担当の方との出会いと言う「運」、この運こそ最大の運です。 この方とお会いでき、売り上げを伸ばすことが出来たのは、自分の努力や意思としての「引き寄せられる運」と、その会社にその時担当としてその方がおられたと言う「引き寄せられない運」の両方の運のおかげなのです。 言い換えれば、「意志や努力の場において偶然引き寄せられる運」という形の運なのです。 運を引き寄せる運には3種類あると言えます。1 「引き寄せられる運」 2 「引き寄せられない運」 3 「意志や努力の場において偶然引き寄せられる運」 1は自分の意志や努力でつかみ取ることが出来ますが、2は偶然手に入った運です。 3は、自分の意志や努力で場を作っていたからこそ偶然手にすることが出来た運です。意志や努力がなければその偶然の運は掴むことが出来なかったのです。 長い人生の間には、色々な運と出会いますが、一番多いのは3の、「意志や努力の場において偶然引き寄せられる運」、です。 この運を引き寄せるためには、日ごろの努力によりその運が転がり込んでこられる場を作っておかねばならないのです。 人生を楽しむコツは好きな道を歩くことですが、日ごろの意志と努力により、運を引き寄せることも人生を楽しくしてくれます。 1の「引き寄せられる運」はこうするぞとの意思を持ち、努力によって引き寄せることの出来る運ですから、やはり基本に努力があるのです。 2の運はまるで宝くじのようなものです。当たれば幸いですが、期待しすぎるのはよろしくないでしょう。 結局、人生を楽しむコツとして、運を引き寄せるということがありますが、意志と努力がベースとなっているのです。 |