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人生を楽しむコツは好きな道を歩くことですが、趣味を持つことでうるおい豊かな人生になります。 写真やギター、尺八など私の趣味について紹介しましょう 人生を楽しむコツ人生とは、人が生まれてから死ぬまでの間の時間経過において、経験したり学習したりしたことの積み重ねの事です。時間経過に従いますので戻ることは出来ません。 人それぞれの経験や学習ですから、皆違います。同じ人生はありません。 人生を楽しむと言うのは、生きている間のその時その時の瞬間を常に楽しく過ごしていくと言う意味と、後年になって自分の過ごしてきた人生を振り返り、自分自身で評価した時、楽しい人生であったと思うような人生観としての人生の意味とがあります。 毎日毎日を必ず楽しく過ごす方法は無いと言ってよいでしょう。親の死や悲しいこと、辛いことは必ずあります。 そういう意味では、毎日毎日を出来るだけ楽しく過ごしたいものだと言う程度で考えねばなりません。 後年になって振り返ってみた時の人生観としての人生を楽しいものにする方法はあります。 自分の好きな道を一筋に歩き、愛と感謝を持って生きることです。 そうできれば、必ず後悔しない楽しい人生とすることが出来るでしょう。 コツと言うのは、秘伝と言うよりも、もっとわかりやすい具体的な方法を示し、そのことを成し遂げるための要領の事を言います。 人生を楽しむコツは、好きな道を愛と感謝を持って一筋に歩くことです。 人生を豊かにする私の趣味紹介人生を楽しむと言うのは、いわば骨の部分です。自分の人生の中心となる部分においては楽しい人生であったと評価できると言うことです。 人生を豊かにすると言うことは、若干違います。 その自分の人生の骨の周りを取り囲んでいる部分です。 このところが豊満でうるおいのあることを指しています。 自分の好きな仕事ができ、子供も成長してくれればまず楽しい人生だったと言えることでしょうが、もう少し肉付けが欲しいのです。 仕事を離れたところにおいても満足できる人生としたいのです。 それは余暇の過ごし方であり、趣味を楽しむことで得られるでしょう。 友達と飲むのが好きだとか、一緒に旅行するのが好きでも構いません。そういう趣味だったと考えればよいのです。 趣味を楽しむことで人生をより楽しく、豊かなものにすることが出来るのです。 そんな意味で私の趣味について紹介します。 写真私は若いころから一応人並みにカメラをぶら下げて旅行したり、風景写真を撮ったりはしていました。しかし60歳少し前くらいになり、写真についてある程度本格的な勉強を始めました。 日本においては有数の教室に通信教育で学ぶことにしました。 毎月課題が与えられ、写真を送りますと評価がなされ、さらに良くするにはどこをどうすれば良いかなどアドバイスがあります。 例えば、ヘリコプターの離陸時の写真を撮った時には、誘導する人が2名写っていたのですが、こういう場合は1名にしないと注視点が分散してしまい良くないなどのアドバイスがありました。 黄色の使い方、赤色の使い方など結構難しいものでした。 それでも一応合格点を貰って卒業しました。 その後は、単に旅行に持って行くのではなく、何を撮るのだと目標を定めて撮りに行き、満足できるものが撮れるまでとことん撮るような取り方に変わってきました。 さらに進み、コンテストに出品するために写真を撮るようになりました。 年に一度の出品です。 最初にどのような写真を撮るのか決めます。 まいにち毎日暇があれば撮り続け、たいてい一年間に一千枚くらいは撮りました。 そうして、その中から一枚だけ選んで出品するのです。 選に漏れた写真は全部廃棄です。 結局、たくさん撮りますが、一年に一枚しか撮らないわけです。 最初は日の出の様子を撮ることにしました。 何日も早朝から撮りに行きましたがなかなか思うようなものが撮れません。 ある時家内と旅行に行ったとき、ホテルの前が湖でした。 月が出ており、水面に反射していました。水面には養殖用の壊れた杭があります。 杭とさざ波と、月の反射を見て、これは行けると直感しました。ただ、位置が悪いです。月の位置が悪いです。 もう少し時間がたてばよい位置に来るであろうと待ち構えました。 ほとんど一睡もせず、何枚もシャッターを切りながら、一晩中ホテルの窓から撮り続けました。 この作品は今まで撮ってきた日の出よりも優れていると自分では思えました。 コンテストの締め切り間近になって、一枚を選ぶことになりましたが、このホテルからの月の反射に決めました。 出品したところ、入選できたのです。 これが病みつきとなり、毎年毎年テーマを考え、その一枚を撮るために数百枚から一千枚以上撮ります。 十年以上続けて出品していますが、全部入選しています。 後半はデジタルにしましたので良いのですが、初めの頃はフィルムでなくては写真ではないように思いましたので、大変なお金がかかりました。 しかし本当に楽しい思い出となっています。 今年のテーマはまだ決まっていません。 考えてはいるのですが、思いつかないので苦しんでいるところです。 ギター私のギター歴は長いです。60数年になります。小学校の時、兄からギターを習い、学芸会で演奏披露したのが始まりです。 その後もずっとギターは手放していません。現在77歳ですがほぼ毎日楽しんでいます。 兄に習ってから、色々楽譜を買ってきては弾いていましたが、どうも素人では弾きこなしが悪かったものですから、分厚い教則本を買ってきて勉強しました。 最後の方少しは残りましたがほとんど全部できるようになり、買ってくる楽譜が随分楽に弾けるようになりました。 ギターも最初のうちは何本か買い替え得ました。 良い音の出ないのはギターのせいだろうと思っていたからです。 でも会社に入ってしばらくしてからは買わなくなってしまいました。 現在もその最後の物を使っていますので、おおかた50年くらい使い続けています。 私の家は農家ですが、大学は都会でしたので下宿やアパート暮らしでした。 安アパートに住んでいた時、廊下を通りましたら知らない人の部屋からギターの音がします。 安アパートですからベニヤ一枚ですので部屋の音は廊下まで聞こえるのです。 ノックしてドアを開け、「良い音がしていますね、私もギターを少しやっていますので一緒によいですか」と。 OKでしたので、自分の部屋からギターを持ってきて一緒にやりました。 付き合っているうちにだんだん親密になってきました。 その方が、「私はギター教室に通っているのですが、一緒にどうですか」と誘われ、私も通うことにしました。 その方はバスを乗り継いだりして通って見えましたが、私はバイクを持っていましたのでその方を後ろに乗せて通いました。 その方は、通うのが楽になったと喜んでおられました。 ギター教室では本格的に指導を受けました。 腕の形や手首の形の注意を受けたり、基本の所から直してもらいました。 ただ、先生もどうしてなのか分からないと言っておられたのですが、私の音は硬いと言われました。 確かに先生の音とは違います。 ギターを変えてみても、爪の研ぎ方を変えてみても先生のような柔らかい音は出しづらいです。 結局先生も諦められて、まあ、それで行ってください、と言うことになってしまいました。今でも音は硬いです。 近頃は楽譜を買ってくるよりも、自分で作曲したり、編曲したりすることが楽しくなりました。 荒城の月は4拍子ですが、これを3拍子に編曲し、ユーチューブにも出しています。 つい最近は、硬い音を活かして、澄んだ音を中心とした編曲に取り組んでいます。 77歳ですが、不思議なもので指はまだ動くものですね。 確かに若い時のように素早い動きは出来ませんが、感情をこめて表現することがうまくなっています。 ギターのほかにも色々やります。 まずハーモニカですが、だいぶ突っ込みました。 首からハーモニカを口の前に固定する器具を購入し、ギターを弾きながらハーモニカを演奏します。 一人で合奏です。 三味線もやりました。同窓会でリクエストに応えて伴奏したこともあります。 沖縄の三線(さんしん)もやります。郷里で法事があった時、兄に歌わせ私が三線で伴奏しました。 買ってきて損したのはバンジョーです。これだけは弾きこなせず処分してしまいました。 ウクレレ、マンドリン、アコーディオン、横笛などもやりましたが、結局押し入れかどこかに行ってしまい、手元からはなくなってしまいました。 本当は、琴もやってみたいのですが、家内に笑われそうで、やっていません。 尺八尺八歴も長いです。これは高校の頃、父に教えてもらいました。 琴古流です。 その後、大学に入り、担任の先生と親しくなりましたら、「君、尺八やるそうだね、少し教えてやろうか」と言われ、丁寧に教えて頂きました。 ところが先生は流派が違い、都山流でした。 尺八の楽器自体はどちらでも関係なく音が出ますし、指使いもほとんど同じで良いのですが、楽譜が大きく異なるのです。 琴古流は縦に区切りなく続けて書かれていますが、都山流は同じ縦ではあっても五線紙の楽譜のように小節で区切られています。 現代風に改良されているのです。 大学では電気工学を勉強しましたが、尺八も習ってしまったのです。 先生のご指導のためか、すっかり都山流になってしまい、今でも都山流です。 先日琴古流の楽譜を取り出してみてみましたが、読み方が分からなくなってしまっていました。 家内は尺八を入れる袋を作ってくれました。 紫色の絹地です。やわらかです。 演奏した後は必ずこの袋に入れてしまっておくのですが、つい先日大事にしていたその尺八が割れてしまったのです。 長年の乾燥のため、縦にヒビが入ってしまったのです。 父の形見の尺八ですので、新しい尺八を買うのでなく、なんとか修理したいと思いました。 水分を含ませ、銅線でタガを作って締め、ヒビ面を接着しました。 穴の中も磨きをかけ、漆によく似たカシュ―という塗料で仕上げしました。 音も出るようになり、音程の検査もしましたが完璧に治りました。 銅線のタガが重量感を出してくれますのでかえってハクが付いた感じです。 得意曲と言うものはあまりありませんが、ギター同様、歳を重ねましたら感情をこめて演奏出来るようになりました。 荒城の月などは、演奏中に人生のはかなさなど思い浮かべます。 島原の子守唄や五木の子守唄も、当時の子守の辛さを感じながら演奏します。 南部牛追い唄を練習中ですが、これは情景がよく頭に浮かばず、楽譜通りに吹いていると言う状態です。 もう少し吹き込んでいけば、感情も出せるようになるのではないかと自分で期待しています。 庭仕事庭仕事も長いです。若い頃、自己流でやっていましたが、60才前後くらいでしたか、通信教育で基本を勉強しました。 お金もかかりましたが、国の補助金を出してもらえましたので助かりました。 通信教育では、いつも100点を取り続けましたので最優秀賞を頂くことが出来ました。 家の表と裏に小さな庭があります。 庭作りはまず設計からです。 上から見た平面図と、眺めてみたらこうなるだろうと言う図の2つを書いてみます。 その設計に基づいて庭木や石を買い込みます。 木を植える所は穴を掘っておき、すとんと入れてもらうだけです。 石は横に積み上げておいてもらいます。 チェンブロックを使って所定の位置に運び組み上げます。 そうして完成した庭を、毎年毎年手入れします。 庭師を入れたことのない庭。 自分で作り自分で手入れします。 楽しいですね。 この枝は絡んでいるから切り取って、こちらの枝は伸ばしてやろうなどと先の事を考えながらの剪定です。 花芽を付ける時期と花芽の付く場所を掴みさえすればいつどのように剪定すればよいか分かってきます。 楽しいですね。 小さいですが温室も持っています。 洋ラン専門です。 一番多いのは胡蝶蘭、次はカトレアです。 でも、冬場の灯油代は馬鹿になりません。 母屋よりかかってしまいます。 近年歳とともに体力が落ち、松の手入れに苦労するようになりました。 残念でしたが、表の庭の松は3本とも切ってしまいました。 「長い間有難う。ごめんね。ごめんね」と言って切りました。 人生を豊かにする先にも少し述べましたが、人生を楽しむコツの中心は仕事の選択と実行にかかります。自分の好きな道を選び、まっしぐらに、一筋に歩きとおせば楽しい人生であったと思うことは出来ます。 しかしこれだけでは人生として豊かさに欠けるような気がします。 骨だけではなく、まろやかな肉も欲しいのです。 本当に愛する人も欲しいです。 子供や孫も欲しいです。 そうして趣味です。 そのほかにも、人生を豊かにしてくれるのは友達や近所の人たちです。 皆仲良く付き合うことが出来れば人生を豊かにすることが出来るのです。 近所の人たちと仲良くすることは必須条件だと思います。 仕事一筋は大切なことですが、このような趣味や周りの人も心を安定させてくれ、内容のある人生となってきます。 人生を楽しむには、趣味を持ち、周りの人たちと仲良くすることも大切です。 そうすれば人生にまろやかな肉が付き、うるおい豊かな人生になってくれます。 また、何事にも愛と感謝の心を忘れないようにしましょう。 |