残念無念
言葉では言い表せない
悔しさを意味します

 

残念無念

残念は心残り、無念は強調語と言われますが、残念無念は言いようのない悔しさを意味します。
愛し合った彼女が亡くなった時感じました。私の「残念無念」の体験をお話しします。+

辞書的解釈

残念

「念」:思いとか気持ちの事。望みと言う意味。心の働きと言う意味。
「残」:残る。
「残念」:済んでしまったことに対して、悔しい思いが後に残るさま。

残念と言うのは、勝負に負けたり、圧倒されてしまったりして悔しく思うことです。悔しさが心に残る事です。

無念

「無念」:仏教用語で執着のない無我の境地のこと。何事も思わないこと。
一般用語として、悔しく思う心。悔しく苦しい心。

無念と言う言葉は、本来仏教用語から無我の境地を意味する言葉でしたが、「死」と関連して「無念な結果となった」などの悔しさを表す言葉として使われます。

残念無念

「残念無念」:悔しく思う。思うようにならなく心残りとなること。

残念無念という言葉は、「残念」を強調する意味で「無念」という言葉を付け加えられたとする説が多くあります。
非常に残念で悔しい心を言い表す言葉です。

体験的解釈

「残念無念」とは悲しく、苦しくどうしようもない悔しさを示すための言葉ですが、心の感じ方ですのでこれを説明することは非常に難しいわけです。
私の人生の中で一番つらく悔しい思いをした経験をお話します。
愛し合っていた彼女が結婚直前に亡くなったことを聞いた時、「残念無念」を感じました。この時はただ茫然とし、仏教でいう執着の無くなった心だったのかもしれません。
「無念」は単なる強調の意味ではないと実感しました。

彼女と知り合うきっかけとなったのは、大学受験で毎日勉強に明け暮れていた時です。
蛍雪時代と言う受験のための月刊誌があり、色々の情報が載っていましたので重宝しましたが、一休みしましょうと言うページがあり、文通相手を募集していました。
何人かの名前が載っていましたが多くは男性ばかりです。でも少しだけ女性の方も募集しておられましたので、ダメモトで応募してみました。
私は字が下手ですのでまず駄目だろうと思っていたのですが、しばらくしてからOKの返事が来たのです。

当時はスマホもネットもない時代ですから、手紙のやり取りだけが唯一の交流方法でした。
どんな大学を目指しているとか、どんなふうに勉強しているとか日常の話を続けていたのですが、そのうち、写真を交換しようと言うことになりました。

文通友達はペンパルとか、ペンフレンドと言われていましたが、文字通り手紙によって文通する友達の事です。
でも、二人とも大学に合格し、心に余裕の出来た頃からだんだんお互いに会ってみたくなってきたのです。
二人の住んでいるところは日本には日本ですが随分離れており、デートのためには一泊二日を要しました。
私は男ですから問題ありませんが、相手の方は女性です。
宿を共にすることには相当悩まれたことと思いますが、一泊二日のデートが実現できたのです。

私は自分に誓いました。
迷惑をかけることになってはいけないから、絶対手は出さないと。

無事に夜を過ごし、翌朝、「膝枕していい?」と聞きましたらOKでしたのでそっと横になって頭を乗せました。
すると、ポタっと私のほほに涙のしずくが落ちてきたのです。
どうしたの?と聞いてみましたが、なんでもないのよ、と言って回答はありませんでした。

その日のデートコースは岩だらけの滑りやすい道でしたので、手を取ってやりました。
とても柔らかい、しっとりとした手でした。初めて彼女の手を握ったのです。

別れ際に、「またお会いできます?」と聞かれましたから、「もちろんです」と答えて別れましたが、この質問の中に涙の回答があったように思えました。

恋心が互いに生まれ、だんだん好きになってきました。
好き、好きはだんだん愛し合うようになってきました。
恋心を超えてきたのです。結婚の約束もしました。
彼女の親には私もお会いし、了解を頂きましたが、私の親は許してくれませんでした。
まだ、学生から会社に入った前後のことですから、時間をかけて説得することにしました。

男が待つのと、女が待つのでは心の時間に差があるようです。同じ一日を女性は長く感じるようなのです。
2年3年と待ち続ける間に彼女は待ちきれなくなってきました。
家出してきて同棲しようと言い出しましたが、結局親が迎えに来て連れて帰られたこともあります。

もう二人の気持ちは完全に一体となって、切っても切りようのない愛の塊のようになってしまいました。
説得を続けていた私の親がやっと了解してくれました。
早速そのことを知らせようとしたところへ一通の手紙が来たのです。彼女の親からです。

「御懇意にしていただきました娘が急死しました」との内容です。

びっくりなんてものではありません。

ただ茫然です。
その瞬間は、悲しみはありませんでした。苦しみもありませんでした。
何も考えることの出来ない状態でした。

夜行列車に乗って彼女の家に行きました。
白い箱と線香の煙だけです。
前に座って、写真を見ているうちに、「残念無念」の気持ちが湧き出てきたのです。
結婚できなくて残念と言うよりは、なぜ死んでしまったんだっ!という無念の気持ちの方が強かったです。

この悲しく辛い思いを表すには、「無念」の一言の方が表現には適するかもしれません。
残念であり、無念なのです。
私の人生において一番大きな悲しみと苦しみの時でした。

「残念無念」は、「残念」と「無念」ですが、その「無念」は単なる強調の言葉ではないと実感しています。

辞書的解釈においては、「残念無念」は「苦しく、寂しく、非常に悔しい思い」と言うことになりますが、実際にそういう場面に遭遇した時の辛さは言葉では言い表すことが出来ません。
そんな馬鹿なことが現実に起こるなんて信じられませんし、誰かのいたずらであって欲しいとさえ思いました。

昔の人も、言葉や文字で言い表すことの出来ないほどの非常に辛く悔しい思いをされた事があるに違いありません。
「残念無念」と言う言葉は、残念を通り超えた非常に辛く非常に悔しい思いを表すために作られた言葉なのです。



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