文通募集の頁
青春時代の始まり

 
大学受験のため蛍雪時代と言う入試用の月刊誌を読んでいましたが、ここに文通相手募集の頁がありました。
私の青春はこの頁の文通から始まり、愛し愛されるまでになってしまったのです。

高校の時

進路の決定

高校へ行っていた時ですが、この先自分はどのようにすべきか考えてみました。
私は数学と物理が得意で、電気の工作が好きでした。
やはりどの道に進むにも大学に行っておかねばならないと思いましたが進路によっては行くべき大学が異なってきます。

数学の先生になることと、電気の会社に勤めることのどちからに絞られました。
数学の先生なら公務員であり安定した生活が望めます。
電気の道に行く場合は、会社が倒産するかもしれないと言う危険性があります。

さんざん悩んだ挙句、自分の好きな道、電気の道を選びました。
電気の会社に就職し、設計をやりたいと思ったのです。

電気の道で生きて行くには電気工学科のある大学に入らなくてはなりません。
しかしここで早速問題が出てきました。
私は数学と物理以外の科目は全然だめなのです。
特に英語は苦手でした。
このため国立大学は無理です。
私立で探すしかありません。

大学の選定と勉強

大学受験のための月刊誌、「蛍雪時代」をとっていましたので徹底的に見てみました。
するとある大学で、入試科目が数学と物理だけのところが見つかったのです。
しかしそれは給費生と言う特別なもので、大学からお金を出して優秀な学生を集める仕組みのものです。
普通の大学に入学するのさえ大変なのに、お金をくれる大学に入るのは超難関でした。

しかし私はこの道を選んだのです。
数学と物理ならだれにも負けない自信があったからです。
誰にも負けないと言っても、この高校の中でのことです。
大学入試となれば全国からどっと集まるのです。

蛍雪時代には詳しく書いてありました。
この私立大学はそうとう大きく、色々の学部や学科があります。
給費生は全学で10名だけの募集です。
その中で、電気工学科では1名だけです。
普通は電気工学科に入るだけで何倍かの倍率になります。
結局、電気工学科の受験生の中でトップ成績にならなければいけないわけです。
ただ、私は数学と物理のみで戦うのです。

高校の中での背比べではありませんから、数学と物理の猛勉強を始めました。
家の中は子供が騒ぎやかましいものですから、土蔵の中で勉強したのです。

蛍雪時代の文通募集の頁

蛍雪時代には大学に関する色々の情報が載っていました。
勉強の傍ら、この雑誌も見ています。

すると、一休みしましょう、と言うことで、文通相手を募集していますと言う頁がありました。
自分の志望校や趣味を述べ、住所氏名が書いてあります。
ここに手紙を出し、文通相手にしてもらえれば心の休まる時間も作れるようになります。
募集欄に氏名を掲載することは勇気のいることです。
私は自分から掲載して募集する勇気はありません。

それで、ものは試しと思い、蛍雪時代の頁に記されている一人に手紙を出してみました。
どうせ出すなら、女性の所にしようと思い、数は少なかったですけど女性の名前の所へ出してみました。
「私は何々と言う者ですが、こういう理由であの大学を目指し猛勉強しているところです。もし文通していただければ嬉しいです」と言うような内容です。
蛍雪時代と言う雑誌は受験生みんなが見ていると言われる雑誌です。
この方の所にも、どっと手紙が来るに違いありません。
私はとりわけ字が下手です。
文通相手として選ばれる可能性は極めて低いわけですが、ものは試し、ダメ元で出してみたのです。

しばらくしましたら、一通の手紙が来ました。
どうせお断りの手紙だろうと思ったのですが、何と、OKなのです。
びっくりしました。
女性の方から文通相手になりましょうと言う返事が来たのです。

嬉しかったですね。
大学入試はまだ先ですが、もう大学に受かったほど嬉しかったです。
私の青春の始まりとなったのが、この蛍雪時代の文通相手募集の頁なのです。

文通から恋へ

今から60年ほど前の事です。
現在と違ってスマホもパソコンもありません。
相手の方は遠方です。
通信手段は手紙しかないのです。
下手な字で書きました。

しばらく経ってから、何人くらいから申し入れがありましたかとか、何人くらいと文通していますかなど聞いてみました。
すると、二十数名から申し込みがあり、その中から二、三人と文通を始められたそうです。
そうして今は貴男だけになっていると言う事でした。

こんな下手な字で最低ですのにと聞いてみましたら、文章が読みやすく、要点をしっかり捉えておられるからですとのことでした。

私も彼女も勉強に一生懸命取り組み、二人とも志望校に合格することが出来ました。
高校はまだ卒業していませんでしたが、二人とももう勉強しなくても良いですから、心には余裕が出来てきました。
文通している間に、写真交換の話が出てきました。
両者とももちろん同意し、さっそく交換しました。

大学に入り、私はその大学のある都会で下宿暮らしです。
彼女は父親が戦死され、母親一人で育てられています。姉と彼女の二人兄弟です。

写真交換も済み、手紙のやり取りも頻繁になってきました。
すると今度は会ってみたくなってきたのです。
二人のどちらがと言うのでなく、両者とも自然に会ってみたくなってきたのです。

でも、ずいぶん遠いのです。
簡単にデートするわけには行かないのです。
飛行機など高根の花ですから論外です。どうしても電車になります。
まだ新幹線もありません。

どう計画しても、一泊する必要があるのです。
私は男ですからどうということはありませんが、向こうは女性です。
男と女が一つ宿で泊って初デートしようと言うことですから、問題です。決心が必要です。

私は、迷惑をかけてはいけないから絶対手は出さないと自分に誓いました。

そうして初デートとして、一泊2日の旅行となったのです。

朝、膝枕をしていたら、私のほほにポタッと涙が落ちてきました。
どうしたの?と聞きましたが回答はありませんでした。

一所に歩いている時、滑りやすい道になりましたので、手を差し伸べました。
握ってもらえました。
柔らかい手でした。

別れ際に、「またお会いできます?」と言われ、「もちろんです」と答えましたが、この言葉の中に、涙の解答があったように思えました。

その後の手紙などでだんだんお互いが好きになってきました。
恋心が出てきたのです。どちらから言うでもなく、好き同士になって来たのです。

青春時代

大学の頃

この大学の電気工学科のトップ成績で入ったわけですが、維持するのが大変でした。
確かに入試は数学と物理の2科目だけだったのですが、給費生の資格を維持していくためには総合成績で常に上位の成績でいなくてはならないのです。
英語やドイツ語なども含めて総合点で上位につけているのは大変でした。
一度だけですが、前期の成績があまりよくなく、注意を受けてしまいました。
後期を頑張りましたので年間としてはOKとなり、なんとかしのぐことが出来ました。

下宿やアパートなどあちこち住かを変えました。
友達にこっちがいいよと言われて、つい移ってしまったりしました。

彼女との文通はまだ続いていました。
まだ、と言うより、真っ盛りと言った方が良いかもしれません。
普通は手紙が来たら返事を書き、その返事が相手方に着いてからまた返事が来るので、こちらから又出すと言うことなのですが、この頃は少し違いました。
今日手紙をもらったとしますと、今日のうちに返事を出し、明日もその続きを書いて出すのです。
明後日もまた出します。
返事が来ないのにどんどん出すのです。

彼女も同じように毎日書いてくれます。
ですから毎日手紙が来ますが、内容は一週間ほどずれたやり取りになってしまいます。
でもとにかく、ずれていようがいまいが、毎日が楽しみなのです。

毎日デートしているような気分になります。
そんな毎日が続いていますと、もう一度会いたくなってきます。
遠いですから一泊は必要です。

こちらは問題ありませんが、彼女は母親にどう言い訳して出かけてくれたのか不思議ですが、会うことが出来たのです。

もうその頃には恋ではなく愛と言った方が良いほどになりました。
いつも頭から離れないのです。
若かったのでしょうか青春真っ盛りになってしまいました。

世の中に女性はこの人しかいないと言う気持ちです。

会社に入って

大学を卒業し、電気の会社に入り、設計することが出来るようになりました。
私の夢に描いた人生を歩き始めたのです。
彼女とは愛し愛される仲になり、もう、言うこと無しなのですが、一つだけ問題がありました。

二人の間では結婚の約束もしました。
彼女の母親にも了解をもらいました。
しかし私の両親が許してくれないのです。

まだ卒業して会社に入ったばかりの歳ですから、ゆっくり説得して行くことにしたつもりなのですが、彼女は待ちきれなくなってきたのです。
なんだかいつもと違う感じのする手紙をもらい、つぶさに見ていますと、何と、暗号が書かれているのです。

精神病院に入れられ、検閲を受けている手紙だと分かりました。

早速病院に飛んでいき、突然ですが面会させてほしいと先生にお願いしました。
先生方で相談された結果、原因がここに有るのだから良いだろうと言うことで許可してもらえました。
その結果、彼女も快方に向かい無事退院できました。

母親は、精神病院に入院することは恥ずかしいことだと考えられ、ひた隠しにされていたのですが、私が突然訪問したため大変驚いていられました。
どうしてわかってしまったのですかと問われましたが口を濁して回答はしませんでした。

愛の終わり

とても楽しい日々を送り、会社の仕事と彼女の事で頭はいっぱいでした。

ただ一つの問題点は私の両親です。

どういう理由で反対しているのかはっきりとは言ってくれません。
ただ、駄目だ、駄目だと言うだけです。

しかしもう何年になりますか、ずいぶん長い間両親の説得を続けてきたのですが、ついに了解を得ることが出来たのです。
早速そのことを知らせようと手紙を書き始めたところへ手紙が来たのです。
彼女の母親からです。

何となんと! 彼女の死を知らせる手紙だったのです。

ご厚情を頂いていました娘が突然亡くなり、葬式も済ませましたが、一度線香でもあげに来ていただけませんか、と言うのです。

びっくりもびっくりです。
何かいたずらされているかと思うほどですが、とにかく夜行列車に飛び乗って行ってみました。

白い布をかけた台の上には白い箱がそっと乗せてありました。
どうしてなのかわけが分かりません。
あんなに元気にしていたのにどうしてなのか。

原因を聞いてみましたら、突然の狭心症だったとのこと。
苦しい息の下から、私の名前を呼んでいたそうです。

私の人生の中で、これほど残酷なことはありませんでした。
親の死や兄弟の死にも会っていますが、こんなにひどいショックを受けたことはありません。

しかし泣いても騒いでも、どうしようもないものはどうしようもありません。
半年くらいは落ち込みが続きました。

愛し愛された彼女との別れを認めたのです。
本当に辛かったですね。



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