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恋も愛には違いありませんが、恋の心を本当の愛と勘違いされる場合もあります。 本当の愛とは子を思う親の愛のような愛です。 愛を二つに分け本当の愛とは何かを図を用いて説明します。 学問ではなく私の人生経験として感じたことをお話ししましょう。 愛の心先ずこの図をご覧ください。愛を二つに分けてあります。Aを通る黒い線が恋の心で、赤色の部分が愛の心です。[恋の心と愛の心] 横軸=時間 縦軸=強さ
恋の心と愛の心としてあります。両方とも愛ですが、愛の心としてある方が本当の愛を示しています。 図のAのあたりが恋に燃え上がっている所です。 Bは結婚のあたりです。 Cは夫婦生活を長く続けている状態です。 Dは人生の終わり付近を示します。 恋の心と愛の心を区別できないのが普通です。 特にAの付近では全くその違いなど考えもしないです。 Cに至っても普通はその違いを考えることはしないでしょう。私もそうでした。 私は現在78歳になります。若い頃、恋に燃え上がったことを鮮明に覚えています。 恋愛と言われるように、恋も愛も区別など考えてもみませんでした。ただひたすら愛したつもりです。 しかしこの歳になってよく考えてみますと、恋と愛は違うことに気づきました。 それは長く夫婦生活を続けて来て、愛とは何かを考えてみて、初めて気が付いたことです。 本当の愛「愛の心」と言うのが「本当の愛」を示しています。 「恋の心」であっても自分が愛だと感じていればそれは愛です。愛には違いありません。 どんな愛であろうと、自分が愛だと思えば愛なのです。 偽物の愛と言うのはありません。 しかし、恋の心も愛なのですが、本当の愛は恋の心とは違うことに気が付きました。 夫婦生活を長く続けていて実感できたのです。 図においてCの部分になって初めて気付いたのです。 恋の心は燃えるように熱い愛ですが、「自分のものにしたい」という気持ちが主体になります。 本当の愛の心は、「その人を守り抜きたい」という気持ちが主体になるのです。 もう一度図をご覧ください。 Aの部分は恋愛の真っ最中で、恋に燃え上がっている時です。 ここでは、彼女が私の方に来てくれることを一生懸命願っているのです。 他人には取られたくないですし、私の方を常に向いていて欲しいのです。 彼女の事を本当に好きなのです。大好きです。 誰が何と言おうと譲ることはありませんし、彼女と一緒になることを心から願います。 女性側から見ても同じです。同じだと言い切れるのは、彼女の心が私の心に届いていましたから、そう思っていたことは間違いないと思えるからです。 当時は、これが私の「本当の愛」だと思っていました。 しかしそれは大部分が「恋の心」だったのです。 本当の愛もあったのですが、恋の心の方が強かったことに気が付かなかったのです。 子供をお持ちの方ならばお分かりになると思いますが、自分の子供は本当に可愛いです。 孫は更に可愛いです。 私はペットとして部屋の中で小さな犬を飼っていましたが、この小犬も可愛いです。 今、三つの可愛いと言う例をあげましたが、この可愛いと言う愛情が本当の愛なのです。 親が子供を愛するような愛の心こそが本当の愛なのです。 長く連れ添った妻にも同じような愛を持っています。 このような本当の愛においては、「愛しているよ」とか、「愛していますわ」などの言葉は交わされませんし、普段その愛についてはほとんど意識されません。 空気や水のようにこれほど大切なものは無いのに、有るのが当たり前であって、有ることに感謝などしないのと同じです。 「本当の愛」は普段意識されない愛です。 何の見返りも期待しない愛です。 しかしとても強い愛なのです。 先ほどの図のAの所では、ただ相手を好きで求めてばかりいる恋の心が非常に強く、愛の心はまだ小さいです。 Bのところではほぼ同じくらいの強さになり、結婚後のCの段階になって逆転して来るのです。 ただ、ご注意いだたきたいのは、Cの所においても、恋の心は残っていることです。自分のものにしたいと言う気持ちはまだあるのです。 この残っている恋の心は嫉妬を起こす元となるところです。 浮気された時、自分の所から去っていくのではないかと心配する心です。 本当の愛には嫉妬する気持ちはありません。 自分の子供や孫には嫉妬することはありませんが、それは本当の愛だけだからです。 愛は心にあるもの恋の心にしても愛の心にしてもどちらも自分の心の中で意識される感情です。愛には姿かたちがありません。 どんなに愛していても、その愛を取り出して見せることもできませんし、他人に理解してもらうこともできません。 自分の心が意識することなのです。 愛を心が意識できなくなる時、その時と言うのは先にご覧いただいた図のDの所です。 人には寿命があります。 年取れば記憶力も減退しますし、痴ほう症になるかもしれません。 最後には自分の妻や子供の顔も分からなくなるかもしれません。 愛は心にあるものです。心が心として機能しなくなれば、どうなるかお分かりいただけると思います。 愛は意識されなくなるのです。 恋の心も愛の心も消滅します。 Dの所は寂しい話ですが、愛のなくなってくるところです。 改めて申し上げます。 本当の愛は心の中にあるものなのです。 子を思う親の愛のように、「幸せ感を持ってもらいたい」、「辛いことがあるならば助けよう」、「何が何でも守り抜こう」と思うその心こそが「本当の愛」なのです。 |