以心伝心の経験
・・本当に愛する人

 
好きな人にはどういうわけかこちらの心が伝わるのです。本当に愛する人にはなおさらのことです。以心伝心の経験についてお話しします。

以心伝心

以心伝心とは

goo辞書には次のように書かれています。
文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合うこと。
もとは禅宗の語で、言葉や文字で表されない仏法の神髄を、師から弟子の心に伝えることを意味した。「心こころを以もってこころに伝つたう」と訓読する。
wikipediaの紹介によれば次のように書かれています。
言葉を以ては伝えることのできない仏法上の真理を師から弟子に伝えること。
言葉や文字を使わなくても、心と心で意思の疎通が出来る事。また、そう試みる事。

これらの内容から見ますと、
仏法においてその真理を師から弟子に心を以て伝えたことから、心と心が言葉を介さないで伝わることを、一般的に以心伝心と言われるようになったものと言えます。
本当に愛する人どうしの場合、互いに「愛しています」などと言わなくてもその心は自然に伝わるのです。
本当に愛する人ならば心と心が互いに伝わります。仏法の世界だけではなく、我々の世界にも以心伝心はあるのです。

私の経験

小学校5年生か6年生の頃、ちょっと好きな子がいたのです。
好きだと言っても、知れたもので、ちょっとこっちを向いてくれるといいのにな、と思う程度の事で、好きだよとか付き合ってよなどと言ったことはありません。
またいう必要もなかったわけです。
別に恋しているとかいう状態ではありませんから。

私はかなりの悪ガキだったようで、友達の顔を雪の中に押し込んでいじめたことがあるらしいのです。
あるらしいと言うのは、実は私にはそんないじめをした記憶がないのですが、同窓会の席ではよくその話が出てきて、私もいじめられたとか、私も顔を突っ込まれたとか笑らい話に出てくるのです。

別の時の同窓会。60歳過ぎたころの同窓会の時の話です。
さんざん皆飲んだ後、二次会に行きました。
その店は比較的小さく、3つくらいのテーブルに分かれてまた飲みました。
ずいぶん酔いのまわったせいで、同じテーブルに居た、昔のちょっと好きだった人に私が言いました。
 「俺はな、実を言うとお前の事が好きたったんたよ」と。
するとどうでしょう、その人がみんなの前で、
 「私もよ」
と言われたのです。
同席していた人たちは一瞬静まりましたが、次の瞬間、やんやのはやし立てです。
何々、今になって愛の告白かね。
もっと早く打ち明けていれば一緒になっていたかもしれないのに。
などと大声ではやし立てますので、他のテーブルの人たちもどっと集まって来てさらに大騒ぎになってしまいました。

小学校の頃の私の心は彼女の心に届いていたのです。何も言わないのに伝わっていたのです。
以心伝心で心は自然に伝わるものだと思いました。



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