感謝の気持ち

 
「感謝」の反対語は「当たり前」です。
当たり前でないことをしてもらった時には感謝することが大切です。
当然だと思っている中にもたくさん有難いことが入っています。そのことに気づき感謝すれば心豊かに過ごすことができます。

感謝の反対語は当たり前

先ずこの第一図の曲線をご覧ください。この曲線は心の豊かさを模式的に示したものです。

感謝の心と心の豊かさ 横軸=時間 縦軸=心の豊かさ
心の豊かさ

図の左側の曲線は感謝の気持ちを持ちながら生活すれば心が豊かになることを示し、右側の曲線は感謝の気持ちが少ないと心は貧しくなることを示しています。
縦軸の上の方は心が豊かな状態を示し、下の方は心が貧しい状態を示します。横軸は時間です。

次に第二図をご覧ください。

感謝の反対語による感謝の説明
反対語

この図の左側の薄赤い部分は「感謝」で、右側の青い部分は反対語である「当たり前」を示しています。

元語が「感謝」で、反対語が「当たり前」です。
これをA部で示しており、B部ではその語の言い換えになっています。
更にC部ではその説明、D部では例を示しています。

以下順に説明します。

A 感謝とその反対語

A部の左側、元語が「感謝」で右側がその反対語の「当たり前」になっています。
感謝の反対語は一般に「当たり前」と言われます。

これは辞書を引いたときにそのように示されていますのでそのまま記しましたが、なぜ反対語なのかはこのままでは少し理解しずらい所があります。
しかし、以下の言い換えや説明を見て頂きますと徐々にご理解いただけるものと思います。

B 言い換え

B部で見られるように、「感謝」と言う言葉を言い換えれば「有難い」となり、その反対語である「当たり前」を言い換えれば「当然」となります。
ここまでは序論のようなところであり、この先のCの所の説明をよく理解して頂きたいと思います。

C 説明

C部をご覧いただきますと、ある程度意味が読み取れます。

感謝を言い換えれば有難いと思うことですが、この「有難い」と言う言葉はよく考えてみなくてはなりません。
有り難いは、「有ることが難(かた)い」です。
ここに存在するのはたやすいことではなく、滅多にない事と言う意味になります。

反対語の方を見てみましょう。
反対語は「当たり前」です。
それは有るのが当然であって空気か水のように「いつでも有る」ことであって、特にその存在が意識されないと言うことになります。

感謝と言う言葉の意味は、反対語の意味をみるとよく分かります。
「有るのが当然だと思ってしまっては感謝できない」と言うことを意味しているわけです。

D ものの見方の例

更に具体的にいくつかの物事の見方の例を見てみましょう。
同じもの事でも見方が違えば違うように解釈されてしまいます。その例です。
図ではポイントしか示されていませんので、ここで補足説明します。

[雨]
雨が降っている時、家があるおかげで濡れずにいることが出来る。家があることは有り難いな、と感じる。・・感謝
家が無ければ濡れない所を探さなければならないけれども、家があるなら濡れないことは当たり前だ。・・当たり前

[生命]
この広い宇宙の中の地球と言うところに、うじ虫ではなく人間として生まれたことは非常にまれなことであり、「有り難きこと」だ。‥感謝
頼みもしないのに生まれてきてしまったのだ。どこに有り難さなどあるものか。・・当たり前

[生活]
主人が毎日仕事をし、稼いでくれているおかげで生活できています。・・感謝
私は家で子守と言う仕事をしているのです。主人は外で仕事して稼いでくるのは当然の事です。・・当たり前

[食事] 毎日妻が食事を作ってくれるので有難い。・・感謝
俺は仕事しているのだから妻が食事作るのは当たり前。・・当たり前

このように同じものを、感謝としてみるか、当たり前として見るか両方の見方があります。
「当たり前」の見方をすると感謝の気持ちは出てこないのです。

感謝と心の豊かさ

感謝の気持ちを持つ

同じもの事でも色々の見方が出来ます。
感謝の気持ちを持ってみる見方と、特に感謝の気持ちを持たない見方とがあります。
人に何かをしてもらった時、「ああ有難いな」と思えることはたくさんあるでしょう。そのような感謝の気持ちを持つことは大変良い事であり、大切なことです。

しかし、特に人に何かしてもらったと言うことではないのに感謝の気持ちを持つこともできます。
身の回りにあるどんなものでも感謝の気持ちで見ればそのように見ることは出来ます。

今、私の周りには色々のものがあります。
パソコン、時計、スマホ、鉛筆、消しゴム、定規、眼鏡、・・・・・いくらでもあります。

パソコンがあるからこのようなホームページも書くことが出来るし、色々の情報もとれるし有難いことだと感謝の心を持つこともできます。
時計が近くにありますから、これも時間経過が分かって便利だし、目覚ましもしてくれるし有難いなと思えば感謝できます。
スマホ、鉛筆、・・・なんでも思いようによれば有難いと思うことは出来ます。

つい先日、指先をカッターで切ってしまいました。現在絆創膏を貼っています。
カッターは有り難いものでもありますが、実際の所、恨めしい気もします。
でも自分ながら気が付いたことは、その傷が日に日によくなって来るのです。
傷を治す力を私の身体が持っているのです。
当たり前だと言えばあたりまえのことですが、このような治癒力を備えている自分の身体に有り難いと思ってしまったのです。
化膿止めの薬も良く効いています。これも有難いです。

心の豊かさ

日常をどのような気持ちで過ごすかはその人の自由ですし、だれからも強制されるものではありません。

出来れば毎日を楽しく暮らしたいとはだれでも願うことです。
でも世の中そうは参りません。辛い日も悲しい日もあります。
そういう中で、できるだけ、可能な限り幸せ感を持てる日々にしたいものです。

家族や近所の人とは快い挨拶が出来ると良いです。
その挨拶が出来ていれば心豊かな人だと言っても良いのです。

心の貧しい人は挨拶すらできません。

嫌な人だと思えば相手の人も私を嫌な奴だと感じられるのです。
不思議に、こちらの思いは自然に伝わってしまうのです。なにも言葉にしなくてもです。

感謝の気持ちの大切さ

心豊かに暮らすためには感謝の心が大切です。
心豊かな生活をするためには、人や物に感謝の気持ちを持つのが良いです。
こちらが感謝の気持ちを持って接すれば、その心は相手の人に伝わります。
対手が」物」の場合にはその相手は心を持っていませんから伝わることは無いかもしれませんが、自分として心豊かになれます。

感謝だ、感謝だと不自然に意識を高めるのは自分のためにはあまりよくありません。
神経質になってしまい、生活自体が損なわれる可能性が出てきます。

時々、ああそうだ、感謝の気持ちを持たねばな、と思う程度がよろしいのではないでしょうか。
自然体で感謝の心を持つことが大切なのです。
そうすれば必ず心豊かな生活が出来ます。
感謝の気持ちは本当に大切なのです。
神経質にならず、しかし感謝を忘れないことが大切です。



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